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平成の虚無僧一路の日記

暮露と馬聖は同じ? 

2011年01月29日 外部ブログ記事
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明応(1492〜1501)頃成立の『七十一番職人歌合せ』には、
「暮露(ぼろ)と馬聖(むまひじり)は同じ」というような記述がある。

「馬聖」とは何ぞや? 「馬の病を治す祈祷師」などという説もあるが、
一向に判らなかった。

手がかりは「馬衣(うまぎぬ)」を着ている聖(ひじり)。

鎌倉時代(13世紀末頃)流布した『天狗草紙』(三井寺巻第三段)
  
 「一向宗と云ひて、弥陀如来の外の仏に帰依する人をにくみ、
 (中略)一向阿弥陀一仏に限りて、余行・余宗をきらふ事、
  愚痴の至極、偏執の深くなるが故に、袈裟をば出家の法衣なり
  とて、これを着せずして、(中略)或は馬衣をきて、衣の裳を
  つけず、念仏する時は頭をふり肩をゆすりておどる事、野馬の
  ごとし(以下略) 」


「一向宗」というと「一向一揆」。それで、蓮如の浄土真宗と思われて
いるが、蓮如自身「浄土真宗と一向宗は別」と云っている。

「南無阿弥陀仏」と唱えるのは同じだが、「一向宗」は一向俊聖に
始まる時衆(宗)の一派で踊りを伴う。時宗と云えば一遍上人だが、
この一遍とも違う一派があった。後に藤沢の遊行寺に統一され、
時宗=時衆=遊行宗となる。ややこしい。

滋賀県米原市番場の蓮華寺が本山。その開山の「一向俊聖」は
他宗の出家が付ける袈裟は着ず、「馬衣」を着たという。

これで判った。いや「馬衣(うまぎぬ)」というのがいまいち不明だが、
一向俊聖の踊り念仏から、「ささら、鉢叩き、放下僧」、さらに田楽
という芸能集団が生まれてくる。この芸能をもって旅する念仏宗の
面々が、「馬衣の馬聖=俊聖」の仲間と見られていたのだ。

「馬聖」は、踊り念仏を唱える者たちに共通する一般名詞となった。
だから、ささら者、放下僧、田楽、と「ぼろ」は同一視されていた。

『徒然草』や『ぼろぼろの草紙』に登場する「暮露(ぼろ)」は河原で
九品仏念仏踊りをやっていた。

「暮露」と「薦(こも)」は同族と見られていたが、宗教的に別という
意見が有力になってきた。

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