メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

慶喜

絵師伊藤若冲の謎に迫る 

2016年04月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



伊藤若冲

18世紀の京都で活躍した画家、85歳で没するまで精力的に制作を続けました
繊細な描写技法によって動植物を美しく鮮やかに描く
若冲の展覧会が、東京都立上野美術館で開催されています
NHK-BSプレミアムで放送されました、番組を参考&引用










伊藤若冲(NHK-BSプレミアム他ネットより引用)

NHK-BSプレミアムで伊藤若冲の紹介 
日本美術の中でもきら星のごとく輝きを増す若冲の生涯と画業
顔料の数も限られ照明もない江戸時代に、なぜ圧倒的に鮮やかな絵を描けたのか?
番組は神秘のベールに包まれてきた天才の技に、最新鋭の科学で迫る

伊藤若冲再評価
若冲は『平安人物志』の上位に掲載されるほどの人気と知名度を持っていました
明治以降、一般には忘れられた存在でした
昭和元年、辻惟雄の『奇想の系譜』が出版されて以来注目を浴びるようになりました
1990年代後半以降その超絶した技巧や奇抜な構成などが再評価されました
アメリカ人収集家ジョー・プライスのコレクションにより飛躍的にその知名度と人気を高めています

伊藤 若冲作風
若冲は狩野派の画法に通じた後、その画法を捨て、宋元画に学び、模写に励んだ
模写に飽いた若冲はその画法をも捨て、実物写生に移行した
実物写生への移行は、実証主義的気運の高まりの影響も受けたのが影響しています
濃彩の花鳥画、特に鶏の絵を得意とした
写生画とは言い難い、若冲独特の感覚で捉えられた色彩・形態を通して展開されている
印象派が、世界で知られる100年前に、印象派の画法で描いていました

伊藤 若冲の生涯
京・錦小路にあった青物問屋の長男として生を受ける
江戸時代中期の京にて活躍した絵師です
写実と想像を巧みに融合させた「奇想の画家」と呼ばれた
若冲という人物は絵を描くこと以外、世間の雑事には全く興味を示さなかった
商売には熱心でなく、芸事もせず、酒も嗜まず、生涯、妻も娶らなかった

隠居、絵師として自立
家督を弟に譲り、名も「茂右衛門」と改め、はやばやと隠居する
「動植綵絵」を描き始め、鹿苑寺大書院障壁画を制作、金刀比羅宮奥書院襖絵を描く
隠居後の若冲は、作画三昧の日々を送っていた

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ