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日光東照宮の「三猿」の教え 

2016年03月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



尾上松也さん日光の謎解き

日光の三猿とは「他人の悪いところは見ない、悪口も聞かず、余計な事は言わない」「処世術」?
家康公は、何故久能山にお墓、1年後日光東照宮で神として祭られたのか?
将軍家光は、何故日光東照宮の大造替・大規模な改築をしたのか?
BS11尾上松也さんの古地図で謎解き!にっぽん探究の放送他参考&引用



























「聞か、言わ、見」ざる(猿)の3猿の教え
叡智の3つの秘密を示しています
登場する3匹の猿は、幼い子ども猿
子供時代、悪いことを見たり、聞いたり、言ったりしないで、素直なまま育ちなさい

「三猿」は、物語形式で人の生き方を教える手本です
1面:母猿が手をかざす⇒子猿の将来を見ている
2面:有名な三猿の場面
3面:座っている猿の姿⇒一人立ちする直前
4面:猿は大きな志を抱いて天を仰ぐ⇒「青雲の志」を暗示
5面:猿の“人生”で、崖っぷちに立つとき⇒迷い悩む仲間を励ます友がいる
6面:物思いにふけっている姿⇒恋に悩んでいる?
7面:結婚した2匹の猿⇒荒波の彫刻は、これから夫婦で乗り越えてほしい
8面:ラストはお腹の大きな猿⇒母親になって1場へと戻る

家康の遺言
 ☆『墓は久能山、葬式は増上寺、位牌は三河、日光山にお堂』
自分が死んだら、遺骸は久能山に埋葬する事
葬儀は、菩提寺の増上寺で行う事
出身地三河の大樹寺に、位牌を祀る事
1周忌が済んだら、日光山にお堂を建て勧請する事(関八州の鎮守)

家康公は、何故「久能山」にお墓希望したのか?
家康を支えた四天王の一人に「榊原康政」がいました
「榊原康政」の地、久能山を選びました
「縁」を大切にする家康の「人柄」が、一番大きな要素です
久能山⇒富士山⇒日光(富士の道=不死の道)?

二代将軍秀忠
久能山から、日光に家康の遺骸を移しました
家康の神格性を高め、徳川家を強固なものにしました
日光に、神君家康公を祭る神社「神としての家康」を祭りました

日光東照宮と徳川家康
家康は、生前より星辰信仰があり、北極星に対する信仰が厚かったのです
江戸城と日光東照宮の位置関係のライン上に、北極星へと続いています
本殿入口の陽明門の真上には、北極星が見えます
日光は天海の住職地の出生地でした

三代将軍家光は、何故日光東照宮の大造替したのか?
二代将軍秀忠は、三代将軍家光の弟忠長を三代将軍にする意向でした
祖父家康が、父秀忠の反対を押し切って、家光を将軍にしました

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