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戦病死「餓死者?」(教えられていない歴史) 

2016年03月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



日本軍補給路を断たれた戦い

ガダルカナル島、ニューギニア、インパールの戦い
歴史学者藤原氏著「餓死した英霊たち」戦病死が約6割が餓死、 兵站軽視のツケ
戦没者は、戦闘で亡くなった戦死者と、従軍中に病気などで命を落とす戦病死に分けられる
戦没者230万人を戦死、戦病死などの死因別に分類した公的な記録は存在していない
『永遠の0(ゼロ)』百田尚樹著読み、興味を感じて書きました


戦病死した兵士 地域別の割合











日本軍戦病死(ネットより引用)

「餓死した英霊たち」歴史学者藤原氏著より
「インパール作戦」の中隊長が手記により、戦没者数を、戦死、戦病死で推定?
ビルマ・インド方面の戦没者約約19万人のうち、約15万人(約80%)が戦病死者と推定?
全戦没者約230万人約140万人(60%)が、戦病死者(餓死者)ではないかと結論づけた
日本軍の指導層が、兵站を軽視したツケを、末端の兵士たちに支払わせて結果

ガダルカナル島の戦い
西太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島を巡って繰り広げた戦いです
ソロモン諸島の住民の間では、日本軍の大量死(Big Death)と呼ばれている
日本軍は補給に失敗し、多くの餓死者を出したため日本軍の将兵は現地を餓島と呼んだ
周辺海域の海戦で、多数の艦艇船舶が沈没したので、海峡を(Ironbottom Sound)と呼んだ
ガダルカナル島の戦いは、日本の継戦能力の限界を超えた状況の戦争でした

ニューギニアでの戦い
日本軍は、東部ニューギニアのラエ、サラモアに上陸し占領した
ダグラス・マッカーサー大将が率いる連合軍と終戦まで戦う
日本軍は、制海権・制空権を失って補給が途絶、将兵は飢餓と過酷な自然環境との戦いでした
ニューギニアに上陸した20万名の日本軍将兵のうち、生還者は2万名です
台湾高砂義勇兵、朝鮮志願兵、インド兵も戦闘に参加しています

インパール(インド)での戦い
援蒋ルートの遮断を戦略目的として、インパール攻略を目指した作戦です
 ☆米国、英国、ソ連などが蒋介石の率いる国民政府に軍需品や石油などの支援物資を送り込んだルート
補給線を軽視したずさんな作戦で、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫した
無謀な作戦の代名詞として現代でもしばしば引用される
日本軍は、約9万人、連合国軍の後方戦略目的が含まれていたので、インド国民軍6千人も投入された
遠征作戦では、補給が必要ですが、その輸送力は、6万トンキロ程度でした
軍人数、武器等考慮すると、必要とされる補給量は、約60万トンキロ程度と推計されます
連合軍は、約15万人がこの地域に配備されており、日本軍の脆弱な補給線は破壊されました
地理的状況⇒日本軍にとって、山越え等、戦場に赴くまでが、既に苦闘そのものでした

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