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兵庫県南部の島

残念なこと 

2016年02月21日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

今日は昼から淡路島の短歌についてのフォーラムで、文化財としての民俗事象も大切なことと学習しました。

淡路島には万葉集に多数の短歌があります。
百人一首には2つの歌が入っていて、
「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
 焼くや 藻塩の 身もこがれつつ」権中納言定家

がその一つで、塩焼きをしながらの女性が、煮えたぎる土器の中の塩水とその女性の心の中で燃え盛る恋心、夕日が播磨灘の方に落ちていく情景と、きれいな歌として表現されています。

女子大の先生と学生が来られて、有意義な学習の機会でした。


だけど、残念なことがあります。
この当時の、この女性と貴族の藤原定家の思いとの差がありすぎることについても、学習の対象になっているのかどうか、と言うことです。
塩焼の仕事は、縄文末期より鉄器ができるまで、土を捏ねて作った土器にホンダワラ等の海藻を使うとか、揚げ浜式の海水濃縮をして、濃縮した海水を土器に入れて焼いて塩作りをしたのですが、浜辺で働く女性の姿はどうだったでしょうか。乾季の海水が最も蒸発する時期とは夏場ですからね。もちろん粘土を捏ねて、土器も作らねばなりません。土器焼きもあり、燃料も集めなければなりません。
おなかを減らした、着る物も粗末な人間が、熱い浜辺で塩焼とは、綺麗な姿ではないでしょう。
学校ではどう教えられているか、知りたいものです。



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お早うごさいます。

さん

 この定家の短歌を、そういう視点から
見たことがありませんでした。

2016/02/22 06:35:36

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