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戦後70年ダグラス・マッカーサー 

2015年12月25日 外部ブログ記事
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マッカーサーの嘘と虚栄「天皇に代わる存在」になるべく演出したが?

占領下の日本で、5年8カ月にわたり最高権力者として君臨した
日本でのマッカーサー人気は絶大で、帰国の日には、多くの人が詰めかけ夫妻との別れを惜しんだ
マッカーサーの統治者としての演出は超一流で間違いなく成功でした
産経新聞記事参考&引用








マッカーサー(ネットより引用)

マッカーサーの回顧録より
私は、日本国民に対して事実上無制限の権力を持っていた
歴史上いかなる植民地総督も征服者も総司令官も、私ほどの権力を持ったことはない
私の権力は至上だった…

日本での、マッカーサーは判で押したような生活に努める
赤坂・米大使館から、連合国軍総司令部本部がある、日比谷の第一生命館まで毎日通った
第一生命館前には、大勢の日本人が好奇の眼差しで待ち構えていた
マッカーサーは一瞥(いちべつ)もせず、ゆっくりとした足取りで玄関に向かった
マッカーサーの演出で、新たな統治者が誰かを印象づける事に奔走した
マッカーサーの姿を見た日本人は、「回れ右」して、お堀越しの皇居に一礼して帰っていった
月日を経ても、群衆の数は一向に減らなかったが、皇居に拝礼する人は次第に減った
マッカーサーはいつしか「堀端天皇」と呼ばれるようになった

日本人の変化を観察していた米国人の印象
戦前の天皇は、人々の前に姿を現すことがなく、日本人にとって遠い存在だった
マッカーサーは、権威者としての役割をうまく演じ、アメリカン偶像として、天皇の権威に置き換わった
マッカーサーは、常に日本人から尊敬されるように振る舞、天皇に代わる存在になろうとしていた

マッカーサーは、米国大統領選出馬を考えていた
50年北朝鮮軍が、朝鮮半島の北緯38度線を一斉に南進した
北朝鮮軍は、韓国軍を釜山まで追い詰めたので、マッカーサーは、国連軍を指揮して平壌を制圧
中国軍が参戦し、国連軍は押し戻され、38度線付近で膠着状態に陥った

マッカーサーは、原爆使用を検討
51年独断で「中国本土攻撃も辞せず」と公言した
激怒したトルーマンは、第三次世界大戦となるのを恐れ、マッカーサーを解任した
マッカーサーの日本統治は、幕を下ろした

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