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平成の虚無僧一路の日記

世阿弥の言葉「衆人愛敬」 

2015年12月24日 外部ブログ記事
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昨日聞きに行ったコンサートには多いに失望した。
「クリスマス・イヴのコンサート」という触れ込みだから、多いに期待を抱く。
会場いっぱいに響き渡る荘厳なパイプオルガンの調べ、天の声ともおぼしき
聖歌隊の歌声。そんな期待がことごとく裏切られた。
冷え冷えとした堂内。迫力も覇気も無いパイプオルガン、そして貧相な
聖歌隊の歌声。何より、「キリストの生誕を祝う」という熱い思いも、信仰心も
見えてこない。
ま、無料コンサートで、素人さんたちの集まりだから仕方がないか。
でもアマチュアでも、熱意が伝わる感動のコンサートもある。
高いチケットを買って行っても、がっかりさせられるプロの演奏もある。
 
いかにしたら観客を満足させることができるか。
そのことを、世阿弥は「衆人愛敬」という言葉で説いている。
「衆人愛敬」とは、上は将軍、殿上人から庶民、農民まで、あまねく大衆に
愛されることが第一、という意味。たとい「能」の知識、理解の無い人、
無関心な人であっても、見たら感動してもらえるような芸をしなければならない、
というのだ。
世阿弥の時代は、いくつも座があって、神社仏閣の境内などで競演が行われる。
観客の拍手が大きく、人気が上がれば、将軍、大名、公家、寺社が次回の公演の
パトロンになってくれる。不評に終われば、パトロンがつかず、座は解散。座員は
失業する。死活問題なのだ。
どうしたら観衆に感動を与えることができるか。そのことを事細かに書き記したのが
「風姿花伝」。
その中で世阿弥は「一度、絶賛を博したからといって、それを何度も演じていたのでは、
感動も無くなり、やがてそっぽを向かれるとも。
(昨今の一発芸人の流行り廃りの激しいこともこれに通じる)
常に大衆の人気を得ていくには、ここぞというときに出せる秘策を
練ることが肝要と。
観客に何を求められているのか、その場その場の雰囲気を読み取り、
それに合わせて能を舞う。そのような直感的能力がなければ、いつまでも
人気を保つことはできない、と世阿弥は言っているのだ。
 

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