じゃばのひまつぶし

家出旅行・・・長崎県・軍艦島 

2015年11月26日 ナビトモブログ記事
テーマ:旅行

会社の定年仲間で年に一度、旅行するようになって10年近い。幹事は毎年持ち回り。最初の頃、私が幹事の時に台風で中止したら、仲間の奥さんからダンナが留守の間に予定していたことができなくなったと苦情。私も「旅行の費用の分でおいしいものが食べられるわね」と横取りされた。

それ以来、年に一度の「家出旅行」が慣例に。1泊では短すぎ、4,5泊では長すぎる、で、2泊3日が基本。「家を出る」ことが主目的なので、どこでもいいから安く行けるところを探す。最初は車やレンタカーを利用したが、高齢者の高速道路の逆走などの事故が増えて、旅行社のパックツアーを利用するようになった・・・沖縄・韓国済州島・能登・黒部や、九州も2、3回。東北・北海道は費用と日数の関係で、いつも候補に挙がるだけ。

今年は長崎県の「軍艦島」。7月に世界遺産になったからというよりも、パックの中では一番安く、全員が行ったことがないのが決め手。長崎見物、軍艦島上陸、雲仙温泉などを含む2泊3日。長崎は私だけが初めて。

メインは2日目、午前中に三菱重工・長崎造船所の史料館(木型工場)を見学。明治以降の日本の近代化の走りとなった造船産業の歴史を知る。特に日露・太平洋戦争を機に多くの船が建造されている。九州地区に炭鉱が栄えたのは石炭が工場や船舶・機関車の燃料としての地の利、時代の背景があったのかもしれない。

午後から軍艦島クルーズ。軍艦島(本来の名称は端島)は、石炭で栄え、石油で沈んだ炭鉱の島。
ガイドの説明に想像以上の過酷な生活がそこにあったことを知る。地下600Mの竪坑に降り、さらに2キロも先の海底炭鉱、温度30度、湿度95%の過酷な環境、爆発・落盤の危険と隣り合わせ。
こんな海底炭鉱まで開発されたのは、太平洋戦争や戦後の高度成長のために燃料としての需要が増加し、石炭がいくらあっても足りないという時代だったのだろう。

国のため、家族を支えるために必死に働いた夫と妻。100年前に日本最初の7階鉄筋コンクリートの高層住宅があり、小中学校や病院もあり、パチンコやマーケットもあり、最盛期はここに5000人の生活があったんだな。
石炭から石油へエネルギー源が移り、軍艦島は衰退し、約40年前に閉山、無人島に。
“つわもの”だった民衆の夢の址。

時折、軍艦島出身の高齢者やその子供という人が訪れるという。
子供の頃、よく新聞で九州や北海道の炭鉱の事故のニュースを見たが、あの時代にこの島で子供時代を過ごした同世代の人もいたんだなと思いつつ、島を去る。帰りは風が強く寒かった。

家出の土産は、長崎カステラと博多の明太子。これで十分だろう。

写真?日本で最初の7階鉄筋コンクリート高層住宅(鉱員社宅)。1916年建設。7階の窓に松の木?生命力か。
?帰りの船から見た軍艦島。夕日に向かっていく本当の船のように見えた。



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れつさん

じゃばさん

コメントありがとうございます。

石炭が黒いダイヤと言われていた時代があったのを思い出します。

オイルショックでトイレットペーパーや粉ミルクが消えておたおたした世代なので、石油の方が身近に感じましたが、日本が変わって行った歴史ですね。

2015/11/27 14:26:49

こんばんは

れつさん

私も1度は行ってみたいところです。
 
 歴史の重みを感じますよね。

2015/11/26 22:14:27

エミリアさん

じゃばさん

お早いコメントありがとうございます。そちらは何時でしょうか。

雲仙は泊まっただけ・・・19時に着いてすぐ夕食、町唯一?のスナックにカラオケに行った仲間もしましたが、私は酔い覚ましにスマホ。
朝、温泉につかり、15分ほど地獄めぐりをして硫黄の匂いを嗅いだだけ。

軍艦島は行ってよかったです。また行きたいとは思いませんが。(^^)

2015/11/26 18:33:15

家出旅行

さん

このツアーとっても魅力的。
雲仙温泉にもいったのですね(^^)
それにしても 軍艦島 凄い迫力ですね〜
本当軍艦のようです。5000人ですか、、
歴史も知るとまた見方が違ってきますね。

2015/11/26 17:42:33

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