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平成の虚無僧一路の日記

南京虐殺は国民党のしわざだった! 

2015年11月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



2012年の中国での新聞記事のようですが、誰もとりあげないようなので、
<「南京大虐殺は自分たちがやった」と告白した国民党少尉>1月27日に歴史評論がネット(http://www.kdne.net)で流れた。開国少将というペンネームの作者は、外祖父が自分の日で見た南京大虐殺という文章を発表している。外祖父から聞いた話として。彼は四川省の貧農の出身で、1928年に国民党に捕らえられて兵士にさせられ、1937年の南京陥落前夜に少尉に昇格、日本軍の猛烈な攻撃に、「首都を守れ・国父を守れ」というスローガンで防衛するよう命じられた。しかし日本軍の進政を食い止めることなど出来ず、南京城から撤退することとなった。部隊は列車を何両か手配して、軍用の荷物と食料を積み込んだ。その時、一般の民衆が老人や子供の手を引きながら列車に乗り込んできた。大勢が列車の屋根にも乗っていた。日本軍はすぐ近くまで迫っている。このままでは、国民党の兵士たちは逃げることが出来ない。誰かが「日本軍が来たぞ」と叫び、国民党指揮官は列車に乗り込んだ民衆に列車から降りろと怒鳴った。誰も従わないので、指揮官は民衆を銃殺しろと命令を出した。兵士たちは民衆を銃殺することなど出来ないので、互いに顔を見合わせていた。指揮官は兵士たちに、「もうすぐ日本軍が来るのだから、民衆は日本軍に銃殺されたことにしたら良いのだ」と言って、一斉射撃を命じた。あたりは血の海となり、兵士の足首まで血が溜まった。約1千人の南京市民が、国民党の兵士たちの銃弾を浴びて死んで行った。国民党の部隊が逃げた後には死体の山が血の海の中に残され、それは日本軍の残虐行為として転嫁された。外祖父の話では、他の部隊も同様のことをしてきたという。全ての国民党による民衆大虐殺は、日本軍の残虐行為として転嫁されたのである。外祖父は国民党が貧乏人を虫けらのように扱うことに抵抗があったという。外祖父は、逃亡する道を選んだ。そして裏切り者といわれることを恐れて、経歴を隠して逃げ回った。その過去の真実を、外祖父は死ぬ前になって初めて語ったのである。南京大虐殺は自分自身が犯した罪であると。さもありなん。十分考えられる。私の父も「敗走していく中国兵と一緒になって行軍していた。もはや彼らは戦意喪失しているので、撃ち殺すようなことはしなかった」と語っていた。

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