じゃばのひまつぶし

味のあるセリフ 

2015年11月09日 ナビトモブログ記事
テーマ:暮らし・生活

映画のシーンや本の中でぐっとくるセリフに出会うと見て(読んで)よかったと思う。

録画で見た[Railways]という映画、中井貴一と高島礼子が夫婦役。中井の母親(奈良岡朋子)が倒れ、50歳目前で生まれ故郷に戻り、地方の電鉄会社で運転手になる。妻は仕事、娘は学校で東京に残る。

運転手は子供の頃の夢で、大人になって夢がかなったと言うが、娘は休みで田舎に来て、病院で祖母の余命が短いことを知り、父が一人暮らしの祖母の最後を看取るために仕事をやめたことを悟る。病院から戻り、畑仕事をしていた父親(中井)に話す。
「おばあちゃんは、野菜の世話があるから忙しくてさびしくなんかない、と言っていたけど、さびしくないはずがないよね」と言う。

これを聞いたとき、田舎で一人暮らしをしていた母親が、同じことを言ってたなと思いだした。
子供が小さいころはよく家族で帰省したが、戻る時に、いつも母が「畑があるから、さびしくない」といいつつ、「今度来るのはいつか?」と聞いてきた。車のバックミラーにずっと母の姿が見えた。
小さいときは子供も喜んで行ったが、中学生になると行くのを嫌がるようになり、帰省の足が遠のいた。

認知症で入院した母の面倒は歳の離れた兄が見てくれた。最後は私の顔もわからず、「誰だね?」と言うだけ。
過去を忘れるというのは、死を意識させないようにする自然の仕組みなのだろうかと思った。映画のような親孝行はできなかった。


映画のラスト近くで中井が運転を終えて、ホームで妻(高島)を見かける。東京から来て、自分の運転する電車に初めて乗っていたことを知る。
「あなたの運転する姿を見て、これでよかったんだと思った」という。別居状態だが、夫婦の絆は変わらない。
ホームでの会話、「終点までちゃんと乗って行ってくれよな」
「はい」

映画は、また折り返して中井が運転する電車の遠景で終わるが、高島が乗っている姿は見えないので、乗ったのかどうかわからない。
「終点」というのが単に電車の終点であれば面白くないが、あの場面は「夫婦として終点(最後)まで一緒に行ってくれ」という意味だろうと思えば、いいセリフだなと思う。そうでないと。
高島が本当に乗っている姿を映像にしてしまうと、セリフが活きないだろうな。



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エミリアさん

じゃばさん

映画の中では、中井の家は途中の駅なので、実際には高島も電車に乗っているはずですが、あいまいな方が、イメージが湧いていいですね。

原作と映画の違いを見るのも楽しみ方ですね。大体は原作の方が面白いですが。。。

2015/11/10 18:38:17

なるほど〜

さん

いい終わり方ですね〜
この映画 気になっていたのに見逃していました。
見てみようっと (^^) ありがとう〜♪♪

2015/11/10 15:16:44

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