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本心に従わず 保身のみはかる面々の責任の重大さ 

2015年09月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

私が言いたくて、ムズムズしていたことを、下町の論客がズバリ言って下さった。
メルマガで送られてきたブログ記事を見て、さすが下町の弁護士さん、過不足なく名文に纏めて下さったとおもった。メルマガで配布されているのだから拡散しても叱られないと思い、全文を貼り付けます。
弁護士 鈴木篤氏のブログはこちらです。https://nagaikaow.wordpress.com/2015/09/24/「考えない小者」の重い歴史責任/
私のタブレットではリンクが貼れないので。全文をコピペします。

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「考えない小者」の重い歴史責任
通路に立ちふさがり肘を張って、委員長席に詰め寄ろうとする民主党議員の進路を執拗に妨害した自らの行動には口を拭って、「怪我をした」と騒ぎ立てる女性議員など、裸の王様を取り巻く腰巾着たちの見苦しい姿を見ていて、考えた。

かって、この国が救いようの無い愚かな戦争に突入し、「1億玉砕」などと愚行の上にも愚行を重ね、戦争の愚かさを指摘し戦争に反対する人々が弾圧されていった時代にも、そうした連中がいた。

反戦思想を持つ国民を弾圧する先兵となった特高や憲兵たち、そうした特高や憲兵に、「国防婦人会」「隣組」など、網の目のように張り巡らされた組織の「支部長」「組合長」として、庶民の生活の隅々まで目を光らせて反戦・厭戦思想を持つ庶民を売り渡した連中、「本当はおかしい」と思っていながら「大勝利」という大本営発表を、そのまま無批判に垂れ流し、特攻(=自爆攻撃=相手から見れば自爆テロ)を「英雄」と礼賛した記者たち、彼らの行動によって、国民は「神国」を信じ、「大勝利」を信じ、「暴支膺懲」を信じ、「王道楽土」を信じ、「鬼畜米英」を信じ、積極的にあの無謀で愚かな戦争を支えていったのだ。

だが、彼らの中に、戦後、自分の行動のために特高に弾圧された人や、戦死した家族を持つ人を訪ねて、謝罪した人がどれほどいるだろうか。訪ねて謝罪しないまでも自らの戦中の行動を、恥じ、深く反省した人がどれほどいるだろうか。
彼らのほとんどは「知らなかった」「自分もだまされていた」という言葉で、自らの行動を免罪してしまったのではないだろうか。しかし、「○○は反戦思想を持つ人物である」と自分が特高に告げ口すれば、その結果、その人にどういう運命が待っているか、その「運命」の意味するところが、むごたらしい拷問と場合によっては命にかかわるものであることを「知らなかった」はずはない。
そうであるからには、「軍部と政府の言うことが正しく、○○の反戦思想は、そのために拷問されたり殺されたりしても良いのだ」と本当に確信していたのか、「軍部と政府の言うこと」を盲信するのではなく、少しでも「○○の反戦思想」に耳を傾け、どちらの言うことが真実なのか、本当につきつめて自分の頭で考え判断していたのか。そのことが問われなければならないはずだ。そのこと抜きに「知らなかった」で済ますことは許されない。それは「知らなかった」のではなく、「知ろうとしなかった」(考えようとしなかった)のだから。

そして、今、裸の王様の腰巾着を務めている自公議員たちや、御用マスコミの記者たち、あるいは御用学者たちに同じ問いを問わなければならない。
君たちは、本当にこの法律が、憲法に照らし、正しいと信じているのか。
君たちは、違憲と言っている90%以上の憲法学者や、元の最高裁長官や、歴代の内閣法制局長官に対して、この法律の合憲性を説得できる確信を持っているのか。
「お金だけで血を流さない国際貢献なんて、平和ボケだ」という君たちは、日本国民が、砲弾や爆弾や機銃でばらばらに吹き飛ばされても、「これこそが本当の国際貢献だ」と言う覚悟を持っているのか。本当に、自分や自分の息子を「血の貢献」に真っ先に捧げる覚悟を持って、そんなことを言っているのか。
安倍首相の「戦争に巻き込まれることなど絶対にない」という空疎な断言を「信じる」前に、君たちはどれだけ真摯に、法案に反対する人々の意見に耳を傾け、自分の頭で考え判断したのか。
これらの問いの全てに「イエス」と即答するとしたら、それは、君が、先の戦争をアジア解放のための戦争であり、日本は戦争犯罪は犯していないと、言い続けている日本会議のメンバーのような筋金入りの国家主義者・国粋主義者・軍国主義者であるということを意味するだろう。
しかし、これらの問いの全てに「イエス」と答えるわけでもないのに、安倍の腰巾着を務めているとしたら、君は、真実に目をつむり、真実を「知ろうとしない」で、小利(小選挙区制での公認を得るとか、自民党内での地位の向上とか、大臣や政務次官の椅子とか)のために、国民だけでなく、自分自身をも偽って、歴史の中で無意味で有害でしかない存在に自らをおとしめているのだ。
恐ろしくはないのか。そんな風に、自分のやっていることが歴史に背き、日本国民を再び戦争の惨禍にさらすかも知れないということをうすうす感じながら、あえて、その不安を「うすうす」のままにとどめ、目をつむり、耳をふさぎ、頭の片隅では危険かも知れないと思いながら危険性を確かめもせずに、危険かも知れないと思う道へ国民を引き入れる者に積極的に手を貸し、そのお先棒をかつぐことを、君たちは恐ろしいとは思わないのか。

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