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平成の虚無僧一路の日記

秘書官の見た「いちばん長い日」つづき 

2015年08月26日 外部ブログ記事
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「総理官邸が暴徒に襲われた」と一報がはいり、大臣は早速官邸に車で
駈け付けた。下村情報局総裁が、坂下門で拉致され行くへ知れず。
近衛師団長が射殺されたとか、阿南陸相が割腹自殺されたとか、情報が
乱れ飛んで、どれが正規軍の報道か反乱軍の報道かわからない。
陛下の録音盤は一体どうなっているのか、それさえわからない始末だった。
 
15日の朝、小日山大臣は 阿南大将自決の場へ駈け付けて、大将の死を
悼まれた。昨夜、総理官邸での閣議を終えてから、阿南大将は血走った顔を
して、幅広の軍刀をガチャつかせて、総理の室に入っていかれるあの姿を
私はこの目で見ているのである。定めて、総理に最後のお別れの挨拶で
あったと思われる。息が絶えたのは恐らく明け方のことであったろうと思われる。
実に立派な武人であったと感に堪えない。
その後も、阿南大将と親しかった小日山大臣は二回も私宅を訪ねて
ご遺族を慰めておられた。
「阿南大将は死んで陸軍を収めた。米内大将は長らえて海軍を収めた」と
述べられている。
この日の正午までは、実に長い一日であると思われた。
 
(以下略)
 
まさに、映画の『日本のいちばん長い日』そのまま、
 
こんな記述も
 
「小日山大臣は会津武士だから、敗戦の責任を負って 腹を切らないとも
限らんから、君はよく注意していてくれ」と心配してくれる人もあったが、
そのことを話すと、大臣は「俺はそんなことはしないよ」と。
 
それ以前、10日の記述では、
「小日山大臣は会津人なので徹底抗戦派かと思われていたが、私には
『戦争ができなくなって降伏するのに、条件つけて何になるか』と言って
おられたところを見ると、鈴木総理と同じく、この機を逃さず 終戦に
持ち込む決意であったと思われる。
 

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