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ゼネラル樋口のこと____iPadが満タンで Facebookができません 

2015年08月18日 外部ブログ記事
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ふと、樋口季一郎将軍の話を思い出しました。
イスラエルやアメリカのユダヤ人には、杉原千畝氏のような有名人で、記念碑にゼネラルヒグチの名が刻まれているそうです。日本では忘れられていますけれど。

バンプウ特務機関で、兄の上官であった、松谷少佐が、かつてハルピン特務機関にいた頃、機関長だったのが、樋口将軍なので、私は兄からいろいろききました。

昭和13年の事です。日本は既にドイツと防共協定を結んでいました。そのドイツに迫害されたユダヤ人難民が、ソ連、満州を通ってアメリカに逃れるしか生きる道がなくなりました。シベリア鉄道で満州国境の、オトポール駅まで来たけれど、満州国が通過を許可しない為、足止めを食い、飢えや凍えで、死者も出ていました。
ヨーロッパに駐在した経験のある樋口は、ユダヤ人との交流もあり、彼らの窮状を理解していました。
人道的に彼らを助ければ、ドイツとの関係が悪化する。自分には権限もない。それでも彼は自分の地位をなげうっても難民を助ける覚悟を固めます。満州国に通過ビザを出させ、ユダヤ難民に食料と医療を提供し、満鉄の列車を出させて、難民を次々に上海に運びました。日米開戦の3年前なので、ユダヤ人たちは、船でアメリカへ逃れることができたのです。一説には2万人のユダヤ人を救ったとありますがそれは間違い。正確な人数は不明です。それでも、このとき救われて、のちにアメリカで活躍されたユダヤ人が多いので、かなりの数ではあったのでしょう。

その後北部軍参謀長に転任。アッツ島玉砕直後、キスカ島の日本兵救出に向かわせ、武器は海に捨てて、身一つで素早く乗船せよと命じ、アメリカ軍に気づかれないうちに、撤退完了。多くの兵を救いました。アメリカはキスカ島に艦砲射撃を浴びせてから上陸してみたら、誰もいなかったので、びっくりし、敵ながらあっぱれと褒めたそうです。

8月15日に降伏してもソ連とは未だ停戦していなかったので、千島列島シュムシュ島に上陸してきたソ連兵を殲滅してしまいます。北海道を守る為に。

戦後、ソ連は、樋口大将を戦犯とし引き渡しを求め、シベリアに送ろうとしました。
しかし、ユダヤ人たちが救出運動を展開、マッカーサーが彼を守ってくれました。樋口季一郎氏は、戦後はひっそりと穏やかに暮らして82歳で生涯を閉じられたそうです。

Facebookを開くと、空き領域がありませんと表示されて、よめますけどシェアも出来ません。
空き領域を作れるらしいけど、私にはわかりません。息子は忙しいし、当分、Facebookはできません。

増えすぎた画像を、片っ端から捨てているところです。





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