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平成の虚無僧一路の日記

東条英機の戦争責任 

2015年07月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



東条英機の孫娘の東条由布子は「開戦の責任ではなく、敗戦の責任はある」と言っているそうな。戦争に踏み切ったのは「正しい決断だった」というのだ。東条英機でなくとも、他の誰が首相になっても、あの戦争は避けられなかったと私も思う。とするなら東条一人に責任を押し付けるのは気の毒。戦争を煽ったマスコミも教育関係者も町内の役員も皆責任がある。原爆や空襲で「何の罪もない一般市民が殺された」と云うが、「戦争を止めなかった罪はある」というのがアメリカの理論だ。それは『私は貝になりたい』のテーマでもある。さてさて、物事を地球規模でもっと大きく捉えてみると、戦争、殺戮、飢餓、病は人間の業。人口増大を防ぐために神が与えた“愛”だとか。昨日虚無僧で立っていた時、渡されたキリスト教の配布誌には、そのようなことが書かれてあった。「“愛”があれば平和」とは神への誤解だという。。怒りや殺戮も神の“愛”とか。そうみれば、戦争の責任は誰にもない。
アメリカとイラクの戦争も神から授かった人間の“業”なのだ。人類の歴史の中で、戦争も病もなかったならば、人間はとうに人口大爆発で、飢餓に襲われ絶滅していただろう。恐竜が巨大になりすぎて食料が足りなくなって絶滅したように。戦争や病は、人類の滅亡を遅らせるための“神の愛”“必要悪”なのだと。

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