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雑感日記
川崎重工業 雑感
2015年06月30日
テーマ:テーマ無し
★ご存じの方も多いが、私は川崎重工業に40年以上お世話になった。 故郷みたいな会社である。
その川重が、このところ非常に調子がいいようである。私が現役時代はそんなにいい経営状況でもなかったし、むしろ苦しい時代も長かったような気がする。
 
つい先日、神戸ベンチャー研究会に出席したら、神戸市の課長さんがスピーカーを務められて、医療関連での川重のロボット技術が素晴らしいと、お褒め頂いたこともあって、あとの立食パーテイーでは、川崎重工の技術水準の話になって、『三菱や石播に比べて川重の技術水準が一番だ』と仰るのである。技術オンチの私としては、本当のところよく解ってはいないのだが、仰ってる方が大学の先生や技術がよく解っている方たちの会話だったのだが、悪い気はしなかったのである。
その理由が、本当にそうなのかどうか、川重は各部門間の技術交流というか技術移転が現実に行われていて、それがないタテ型の三菱や石播との差だとか、技術屋さんが自由な発想をしているなどと仰るのである。
私は、この件は聞き役だったが、ひょっとしたら『最近は』そうなったのかも知れないと思ったりした。
 
★ちょうど決算期で『かわさき』の社内報は、前期の決算内容の解説をしていた。
 
 
 
 
確かに売上高も経常利益なども過去最高を連続して記録している。
バランスシート重視の ROIC などという管理方式を現実に取り入れて、単なる売上高や利益の伸びだけではなくて、質的に大きな向上をみているのである。
30年ほど前の二輪事業が危機的状態で、本体の川重も無配に陥った時代のことを良く知っている私としては、こんなに川重の経営がよくなったのは、極端に、誤解を恐れずに言ってしまうと、『二輪事業のソフト・ノウハウ』が川崎重工業の中に取り入れられたからだと私自身は思っている。
 
それを具体的に列挙すると
●二輪事業も危機的で、川重も無配になったその時期に再建屋として来られた大庭浩さんが、単車事業をよく理解され愛情を持たれて再建の実績と同時に、二輪事業のソフト・ノウハウを 、次期社長含みの副社長として川重本社に持ち帰られたことである。
●当時、単車が再建されたのちも大きな問題事業であった建機と車両の両部門を再建したのは単車のメンバーがそのトップに立ち多くの人材が建機と車両の再建を実現したのである。
●そんな実績が、単車からまず高橋鉄郎副社長が実現して、大庭社長を支えたし、その後単車から田崎雅元社長、佐伯副社長コンビが生まれたりしたのである。
●単車流のやり方は、従来の川重スタイルとは完全に差別化されていて、その方向が必ずしもみんなに受け入れられたとも思わないが、現実に川崎重工業の財務体質がよくなったのは、田崎社長のころなのである。彼は技術屋さんだアメリカのKMCを担当したりしていて、資金繰りもバランスシートも、営業外損益の重要性を事務屋以上によく理解していて、『柔工業』だとか『質重視』の経営を川崎重工業の中で初めて取り入れたのである。
●そのあと他事業部の社長さんが続いたが、前期あたりの川重の経営の仕組み、例えば、ROIC 経営などの仕組みを創ったのは、30年前の二輪の危機時代にアメリカのKMCに出向して、悪い時の現場を経験した松岡京平副社長と本社企画を担当していた富田くんなど、今までの川重のトップにはいなかった事務屋の人たちが経営体質を改善したと云っていいと思っている。
 
★
それはともかく三菱との比較が出ていたので、
 
 
ROICでの比較では、川重が三菱や石播を圧倒しているのである。
ここに書かれていることの本質は、多分技術屋さんにはお分かりにならないと思うが、事業経営を引っ張るのは技術力だけではないのだとも思っている。
 
 
 
そしてこれが、事業部別損益だが、川崎重工業は昭和44年(1969)に川崎重工業、川崎車両、川崎航空機の3社が合併して現在の川崎重工業になったのだが、合併以降の10年間をは支えたのは、独り『造船部門』だったのである。 造船の利益がなければ、二輪事業も、車両も今あるかどうかは疑問である。
然しそれから40年以上も経って、今川崎重工を支えているのは、当時の川崎航空機の事業であることは、川崎航空機出身とすれば非常にうれしいことである。
ご存じだとは思うが、今大きな比重のガスタービンは、あのZIの開発責任者の大槻幸雄さんがいなければ、多分川重の中で事業として育っていないのだろう。
 
この項のトップに紹介した、『ロボット事業』も川崎航空機の明石工場から生まれている。
昭和32年、私が入社したその時にはすでにロボットの開発研究はスタートしていた。ひょっとしたら日本初だったのかも知れないのである。
当時の川崎航空機は戦後軍事産業ということで昭和27年までの中断があって、航空機のエンジン工場であった明石工場の技術屋さんは、発動機や二輪のエンジンやその部品の歯車製造などを主力の事業展開であった。
幾らかでも先進的な発想になったのは当時米軍のジェットエンジンのオーバーホールをやっていて、その生産管理方式はすべてアメリカ的であり、IBM室があったり、その部屋はエアーコンがあったりしたのである。ちなみに日本にIBMが普及したのはオリンピック後、このころから10年もあとの話なのである。当時は日本にIBM社すら、なかった時代である。
そのジェット部門から多くの人たちがカワサキの二輪部門にやってきたので、最初から単車の生産管理方式は、アメリカ的だったのである。高橋鉄郎さんも、田崎雅元さんも、伝説の人田村一郎さんもみんなジェットからやってきたのである。
そんな環境から育った人たちが多かったので、二輪部門出身者のの発想はちょっと変わっていたのかも知れない。
それは今、なんとなく川崎重工業の中枢の経営に受け継がれているような気がするのである。
 
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