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平成の虚無僧一路の日記

真の仏教徒とは? 

2015年06月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



日本の仏教界には、さまざまな対立がある。まず奈良仏教と平安仏教の対立。その平安仏教も、最澄の比叡山天台宗と、弘法大師空海の高野山真言宗の対立。そして平安末期、法然によって浄土宗が、さらに親鸞によって浄土真宗が開かれ、「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで、悪人も救われるという他力本願の念仏宗が起こる。その一方で、自力本願を説く禅宗が武家の間で広まるが、禅宗も、曹洞宗と臨在宗の二つに。さらに平行して、日蓮による日蓮宗が起こり、禅宗や念仏宗を激しく誹謗排斥する。五木寛之の『親鸞』は、平安末期の比叡山の堕落ぶりと、そこから 「仏教とは何か」 を真剣に問い求める親鸞の姿を描く。水上勉の『虚竹の笛』も然り。室町期の五山に代表される禅門の腐敗堕落から脱した異形の僧たちを描く。それが虚竹と一休、そして一路だ。水上勉の『虚竹の笛』は、「竹の中にこそ真の仏教がある」と代弁してくれているようで心強い。すべての仏教を超越したものが「虚無僧」なのだ。そこには、仏も釈迦も経典も無い。あるのは人々の心の中に宿る仏性を呼び覚ます竹の響きのみ。

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