メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

常光院八橋寺と「八ツ橋」 

2015年06月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



黒谷金戒光明寺の山門脇に常光院という小さなお寺がある。金戒光明寺の塔頭(たっちゅう)の一つ。入口に筝の柱(じ)をイメージしたような碑があり、八橋寺と書かれている。ここは筝の八橋検校(けんぎょう)の菩提寺なのだ。八橋検校は、慶長19年(1614)福島県岩城平に生まれ、大阪、江戸、福岡で筑紫流の筝を学び、その上で平調子というミファラシドの陰音階の調絃法を考案して、「六段」などの器楽曲や組歌を多く作曲した。中世の音楽は陽音階だったのが、八橋によって陰音階が広まった。
八橋の評判が高くなり、宮中に召されて、演奏を披露したが「なんて下品な音楽」と、公卿には不評だったようだ。たしかに雅楽とは赴きが異なる。大坂冬、夏の陣で豊臣氏が滅び、幕藩体制の確立とともに、華やかな元禄文化が生まれる直前の1685年、八橋は亡くなっている。この年、ヨーロッパではバッハが生まれている。
江戸時代の文化芸術が庶民のものだったにもかかわらず、音楽は陰音階だったという矛盾は、どう考えればいいのか。詩吟も尺八曲も平調子の音階が基調となっている。ところで、京都のお土産の代表格「八ツ橋」は、この八橋検校に由来している。八橋は倹約家で、米櫃の底に残った粉で焼き菓子を作ることを考えたとか。また八橋の没後、寺に参詣に来る人たちを相手に筝の形をかたどった菓子を売っていたとも。『八つ橋』は、橋ではなく筝(こと)の形だった。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ