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平成の虚無僧一路の日記

一休と原始仏教 

2015年05月29日 外部ブログ記事
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テーラワーダ仏教では、「来世があるかどうかはわからんが、もしあったとして、来世でも苦しむくらいなら、僧侶に説法できるくらいの善行を積んで死ね」と、より良く生きる“生き方”を説いている。一休の母の手紙というのも、同様のことを言っている。「教典を総て諳んじて、どこぞの寺の住持になったとか、位や肩書きが上がったとしても、そんなものは糞虫と同じ事。釈迦も元は凡夫。経典も無いところから修行して、人に道を説くまでになったではないか。お前(一休)も、釈迦や達磨を奴(下僕)とするくらいの修行を積んで、人々を感化いることができるようになれたら、既存の寺などいらんではないか」というのだ。一休は、この母の教えの通り、寺には入らず、草庵に住んで、一生を一蓑一笠の托鉢僧で終えようとした。最後81歳で、天皇の勅願により大徳寺の住持となって、応仁の乱で焼けた大徳寺の再建を果たすのだが、新装なった大徳寺に住むことはなかった。薪村の酬恩庵で盲目の森女と仲睦まじく余生を過ごしたのである。そして一休の名は、600年を経た今日、東南アジアまで知れ渡るようになった。一休は未来永劫生き続けているのである。虚無僧は、その一休に倣う生き方である。

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