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今も400年前と同じ問題で揉める?日朝関係 

2015年04月21日 外部ブログ記事
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江戸幕府を震撼させた国書偽造スキャンダル「柳川一件」

秀吉の朝鮮出兵で、朝鮮と日本の関係が悪くなり、徳川幕府の時戦後の処理問題び解決
間に入った対馬藩は、苦悩し国書を偽造し、墓荒しの犯人も仕立て上げ対処した
国書偽造事件が、その子供達の時代に密告された
NHK歴史秘話より








対馬(ネットより引用)

国書偽造事件の経緯
豊臣政権による朝鮮出兵で、日朝、日明関係が断絶した
徳川家康による江戸幕府が成立すると、徳川氏は李氏朝鮮、明との国交正常化交渉を開始する
朝鮮は、国交正常化の為に、王陵を荒らした戦犯を差しと、徳川幕府により謝罪文の国書を要求した
対馬藩は、経済を日本・朝鮮との交易に依存しており、謝罪文の国書作成幕府すないので、対馬藩は国書の偽造を行い朝鮮へ提出
朝鮮は「回答使」を派遣し、使節は江戸城で将軍・秀忠、駿府で大御所の家康と謁見した
対馬藩は、回答使の返書も改竄し、国書の偽造、改竄を行い、己酉約条を締結させた

対馬藩の家老柳川調興は、藩主である宗義成と対立
対馬藩の国書改竄の事実を、幕府に対して訴え出た
幕府(家光)は日朝貿易は対馬藩に委ねたほうが得策と判断し、宗義成は無罪、柳川調興は津軽に流罪とした
藩主宗義成の対朝鮮外交は、柳川流罪で朝鮮側とのノウハウを失い、対朝鮮外交は停滞した
幕府は、京都五山の僧の中から漢文に通じた優秀者(五山碩学)を朝鮮職に任じた

対馬藩の城下町『厳原の街』、韓国人経営の繁華街へ!!!!
経営者は韓国人という飲食店が増え、そういう店に対馬の人たちが雇われている
韓国人観光客らしいグループが酒に酔って歩いているが、日本人の姿はない
スナックやバーでは、以前は目についた「韓国人観光客、お断り」の張り紙がほとんどない
最盛期には飲食店120軒ほどが営業していたが、今は60〜70軒程度
生活のすべを求める対馬市民と、営利を追求する韓国人の間に利害関係が一致しつつあります

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