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平成の虚無僧一路の日記

「一休寺」の謎 

2015年04月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



京都の南、京田辺市にある「酬恩庵・一休寺」。
一休さんの終焉の地です。寺内にある墓所は、宮内庁の管理と
なっていて、白壁の塀と菊のご紋のはいった門で閉じられています。
一休さんは「後小松天皇の皇子」ということを宮内庁が公認した証です。
 
さてさて、この一休寺の門扉。門はあっても肝心の扉がありません。
一休さんの謎解きです。そう、「扉」という字は「戸に非ず」と書きます。
ですから「戸は有らず」です。(私が考えました)。ま、入る者を拒まず、
「誰でもはいってらっしゃい。平気平気、気にしない、気にしない」の
一休の心だぁぁぁ。
http://www.ikkyuji.org/assets/images/precincts/01-image01.jpg
 
 http://www.ikkyuji.org/assets/images/precincts/03-image02_thumb.jpg
ついでに、もひとつ小話。
一休さんが出かけようとすると、新右衛門さんが「どちらへ?」と
問いかけます。一休さん、扇をかざして、「ここじゃここじゃ」と。
「はて、どちらへ?」と新右衛門さん。一休は笑って「扇は戸に羽と
書くじゃろ、鳥羽じゃよ」と。
ここで云う、鳥羽は伊勢の鳥羽ではなく、鳥羽伏見の戦いで知られる
京都の南の鳥羽です。一休さん、さぞかし馬を跳ばしていったことでしょう。

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