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平成の虚無僧一路の日記

建仁寺が虚無僧の発祥の地? 

2015年04月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



ブログを見ていたら、京都建仁寺の法堂の中で 虚無僧姿の数人が尺八を献奏している写真があり、 説明に「ここ(建仁寺)が虚無僧の発祥地とのこと」 とあった。 「そんな史実は知らない」と以前、書いたが、竹友社の H.P.に、こんな記述を見つけた。 琴古流川瀬派の創始者、川瀬竹友が若い頃、西国へ 虚無僧の旅に出た時、京都で樋口対山に会っている。 建仁寺は、樋口家の菩提寺で、対山の紹介で、竹友 は建仁寺に参禅した。その一部始終が詳しく綴られ ている。 樋口対山は名古屋の人。初め“鈴木孝道”といい、 名古屋で西園流尺八を修め、後京都に出て、樋口家 の養子となり、樋口対山を名乗る。 京都の虚無僧寺『明暗寺』は、明治4年廃寺となり、 最後の看主昨非は本尊の「虚竹の像」他什物を、 親交のあった東福寺善慧院に預けて出奔する。 明治21年、東福寺の本堂が全焼し、尺八愛好家たち の発案で、「東福寺の復興に浄財を集める」という 趣意で「明暗教会」が設立された。そして樋口対山 が代表となり、「明暗流」を復活することとなる。 つまり、現在の明暗流は、樋口対山が再興したもの で、その菩提寺が建仁寺。対山の墓もあるのかも。 実は、私は、昨年京都に虚無僧に行った時、偶然、 建仁寺にお参りし、周辺を周った。樋口対山の菩提 寺とは知らず。これも呼ばれたのかもしれない。 「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

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