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平成の虚無僧一路の日記

三島事件 余話 

2010年11月27日 外部ブログ記事
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東京を離れて17年。東京に行く度に サマ変わり
している。

昨年、六本木の「ミッドタウン」に行ってきた。
「東京ミッドタウン」は、防衛庁があった場所。
江戸時代は、毛利藩邸だった。広大な敷地に
高層ビルが建ち、館内を案内してくれるガイドも
いる。そのガイドさんに「三島由紀夫」事件に
ついて聞いてみたら、「知らない」という。
あれから40年。彼女は 生まれてもいなかった
のだ。

市谷の駐屯地にも行ってきた。(事前予約して)。
三島由紀夫が演説したバルコニーが、縮小されて
記念館として保存されていた。

一般人が入るには、事前に申請が必要であり、
入口でのチェックも厳しい。三島由紀夫は、どう
やって入れたのか、疑問だった。

三島由紀夫は、「盾の会」を組織し、たびたび
自衛隊に体験入隊させていた。そのお礼の挨拶と
告げて、総監室に入り、益田兼利総監を縛りあげ、
軍刀を突きつけて、「自衛官を集めろ」と求めた。
と、報道はかなり暴力的だ。

これによって、益田総監は引責辞任に追い込まれ、
3年後に59歳で亡くなっている。あれから40年。

益田総監の長男の益田兼弘氏が、なんと、父親と
同じく「東部方面総監」を務め、今は退官され、
長野県佐久市在住。68歳。40年の歳月とは、そう
いうことか。

長男の兼弘氏が、初めて「父 兼利」のことを語
っている。

三島由紀夫が「盾の会」を率いて、自衛隊の体験
入隊をした時の 教育訓練担当部長が父だった。
仲は深まり、父の書棚に三島のサイン本が並んだ。
父は事件について多くを語ろうとしなかった。ただ、
『三島さん』と呼んで慕っている様子だった と。

そういうことだったのか。

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