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平成の虚無僧一路の日記

朝鮮最後の王妃となった「季方子」って? 

2015年03月30日 外部ブログ記事
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3/27.28.29と韓国へ行って参りました。
近くて遠い国、韓国について何も知らない。「昌徳宮」で、ガイドさんが
「まさこ様、まさこ様」と説明されるのだが、いったい誰?
そこでWikipediaで調べました。「方子(まさこ)」様とは、
1901年(明治34年)梨本宮守正王の第一王女として生まれる。
皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)のお妃候補のひとりとして取り沙汰
されることもあったが、朝鮮の王子「李垠」の妃となった。
日韓併合後の政略結婚であることは明らか。
「李垠」は、人質として日本に来ており、日本での結婚であって、
朝鮮に嫁ぐわけではなかった。
1919年(大正8年)に婚儀の予定だったが、直前に李太王(高宗)が
亡くなり、翌年に延期される。日本側の陰謀で毒殺されたとも云われる。
第一子「晋」が誕生し、1922年(大正11年)、夫妻は、晋を連れて
朝鮮を訪問。李王朝の儀式等に臨んだが、帰国直前に「晋」は急逝した。
 
これも、日韓併合に反対する朝鮮人による暗殺か、そのように喧伝する
 
ための軍部の謀殺とも云われる。なんという悲劇。
 
1945年、日本の敗戦で、韓国は独立し、「李垠・方子」夫妻は日本国籍を
 
喪失して 一在日韓国人となった。戦後の生活は邸宅や資産を売却しての
 
大変な苦労だったという。
1963年(昭和38年) 朴正煕大統領の計らいで 夫妻で韓国に渡り、
韓国政府の保護のもと 昌徳宮内に住むこととなった。
1970年(昭和45年)、李垠 死去。「方子」様は、1989年(平成元年)に
亡くなられた。享年87。昭和天皇と同年。
つい最近まで「昌徳宮」に住んでおられたのだ。
2006年「菅野美穂」主演で「日韓テレビドラマ『奇跡の夫婦愛スペシャル
「虹を架ける王妃」』としてテレビドラマ化されたそうな。
「日韓の架け橋」となった、すばらしい話です。

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