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平成の虚無僧一路の日記

イスラム教の宗派 

2015年02月03日 外部ブログ記事
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イスラム教の宗派

イスラム教の創始者マホメットは、「自分の死後、イスラム教は73派に分裂する
であろう。そのうちの一派に属する者を除いて、残りの72派の信者は地獄に堕ちる」
と予言したそうである。しかし、これは後世の者の創作ではないかとも疑われる。

イスラム教の二大宗派は「スンニー派」と「シーア派」。

”スンニー”とは、「預言者のスンナ(=範例・慣行)に従う者」の意で、
「正しい伝統を守る者」「正統派」を意味する。

それに対して”シーア”とは、「党」「派」の意で、後述するような事情で、
”シーア・アリー”すなわち「アリー派」と呼ばれることになったものである。

スンニー派は、全イスラム教徒の90パーセント以上がこれに属しており、
自分たちこそが「正統派(スンニー)」で、自分たち以外の者は「アリー派(シ−ア)」
だと主張している。

ところが、シーア派(アリー派)の人たちは、自分たちこそが「スンニー(正統派)」だと言って
いるから、ややこしい。

イスラム教団は632年にマホメットが死ぬと、一時、分裂の危機に瀕した。
その危機は、マホメットの愛妻アーイシャの父であるアブー・バクルを 初代カリフ(イスラム社会の
指導者)に選出して、一時的に乗り越えた。

けれども、アブー・バクルは わずか2年で死に、そのあと2代目カリフにウマルが、
第3代にウスマーンが選ばれるが、彼らはいずれも政敵に暗殺された。

そして、第4代カリフの「アリー」はマホメットのいとこであり、しかもマホメットの娘の
ファーティマの夫であるから、マホメットの女婿である。そのアリーも 661年
刺客に殺された。対抗勢力はシリアの太守「ムアーウィア」で、「ムアーウィア」は
アリーの一族を抹殺して、世襲制の「ウマイヤ朝」がはじまった。

このウマイヤ朝を認めるのが多数派のスンニー派であり、これを否定するのが
少数派のシーア派である。

シーア派は、アリーを「マホメットの正しい後継者」と認める。
つまり、預言者の後継者には預言者の血が流れていなければならぬというのである。

イスラム教には、このほか、
l ハワーリジュ派
2 ワッハーブ派
3 イスマーイール派
4 カルマト派
5 ドルーズ派
などがある。

イスラム教の宗派は、教義の違いによって出来た分派ではなく、政治的な理由で
分派したものが、のちに教義に差が出来たものである。

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