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平成の虚無僧一路の日記

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2015年02月03日 外部ブログ記事
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ユダヤ教の神は”ヤーウェ”と呼ばれる。かつては”エホバ”と呼んでいたが、
現在は”エホバ”は誤読で、”ヤーウェ”が正しいとされている。

このユダヤ教の神ヤーウェは、預言者のモーゼに語っているところでは、
「私は有て在る者なり」(『旧約聖書』「出エジプト記」第三章。文語訳)
つまり、「唯一・絶対の神」である。釈迦が「唯我独尊」と言ったのと同じか?

ところで、敬虔なユダヤ教徒は、神の定めたもうた律法を厳格に守ることによって、
神の前に義とされ、神の国に入る資格を得る。それが彼らの人生最大の目的である。
だから、自爆テロも 神に召される 最高の悦びとなる。


ユダヤ教は「律法主義」の宗教だといえる。

しかし、この世の中には、律法を守れない弱い人間が大勢いる。
当時の社会では、身障者や不治の病の人々は、律法に触れることも許され
ない罪人とされていた。ユダヤ教では神の国の扉は彼らには閉ざされていたが、
イエスは彼らに対する神の愛の福音を説いた。

したがって、キリスト教の神は、罪人をも包む愛の神である。

ユダヤ教は「律法の宗教」である。
それに対して、キリスト教は「愛の宗教」である。
ところがキリスト教は、神の愛を強調して、「神の子」=イエス・キリストを仲介者
としておくことにより、神の唯一の絶対性・超越性を稀薄にしてしまった。
神に「子」があるとなると、どうしても神はわれわれ人間に近い存在になって
しまうから。

その点では、イスラム教は、神の観念をもう一度、ユダヤ教の原点に戻した
と言えるだろう。

イスラム教の神は、”アッラー”と呼ばれている。英語の "the God" 。
歴史的には、イスラム教の以前から、アラブ人(とくにメッカの人々)が
「至上神」として信仰していた神である。




『コーラン』は、このアッラーの神について、
「おまえたちの神は唯一の神である。それゆえ、このお方に帰依せよ」
(22章34節)と、繰り返し言っている。
アッラーは全知全能で、天地万物の創造者、支配者であり、超越者である。
そして、「アッラー以外に神なし」と信ずるのが、イスラム教徒なのである。

イスラム教ではアッラーの唯一性が強調されるから、キリスト教のように
「神の子」の存在は認めない。キリストは預言者の一人と見なす。

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