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平成の虚無僧一路の日記

「生前葬」 瀬戸内寂聴の講話から  

2015年01月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



Aさんから、コメント欄に「生前葬をされたい」という方のお話を
いただきましたので、「瀬戸内寂聴」の講話から「生前葬」について。
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岩手県の貧乏寺「天台寺」の住職となって、毎月出張し、講話を
開いていたところ、そのうち、講話を聴きに集まってくる人が
数千人。多いときには一万人、最高、1万五千人にもなった。
ある時、一人の おばあちゃんが 「生前葬をやってもらいたい」と。 
「生前葬なんてやったことない」とお断りしたんですが、「私は
独り身で、死んだら葬儀をやってくれる人もいません。どうしても
今、寂聴さんにやってもらいたい」と、通帳や財布を差し出して
頼むんです。それで、その方を大勢の前に座らせて、「〇〇経」を
唱えて、カタチなりの生前葬をやってあげました。
読経の間中、そのおばぁちゃん、こっくりこっくり寝ていたようです。
周りの皆さんがクスクス笑うんです。読経が終わって、「さあ
終わりましたよ」 と声を掛けると、そのおばあさん、はっと目を
覚まして「ありがとうございます。これで、成仏できます」と。
その顔つきが、読経前とすっかり変わっていました。始まる前は
暗かったのに、生前前が終わったら、いきいき、とても晴れやかに
なったんです。悩みが解けたんですね。
 
それから2年後、そのおばあさん、またやって参りました。
「今日は私の三回忌です。どうぞ、三回忌のお経をあげてください」と。
それで、また 三回忌の法要をしてあげました。そのおばあさん
ますます元気になって、{このままだと 17回忌までお願いできますね」と。
 
歳は私と同じでした(当時83歳)。17回忌というと 97歳です。
「そこまで 私 生きてないわよ」って云うと、「寂聴さん、大丈夫です、
私の17回忌(97歳)まで 一緒に生きましょう」と。(笑い)
 
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なるほど。寂聴さんも云ってます。「出家するとは、一度死んで、(現世の
自分を捨てて)生まれ変わるんです。寂聴というのは戒名、仏になった
名前です」と。 
生前葬をするのも、今までの自分を捨てて<生まれ変わりの儀式なのかと、
思いましたですね。 大いに結構。人間一生のうちに、何度も生まれかわり
ましょう。 生前葬は、ぜひ 「普化(吹け)尺八の一路」にご用命ください。
 

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