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江戸の文化人(淀屋、山崎、賀茂) 

2014年11月29日 外部ブログ記事
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江戸時代の文化人

淀屋4代  ⇒大坂の豪商
山崎闇斎   ⇒儒学者・朱子学者・神道家・思想家
賀茂真淵  ⇒国学者、歌人






















江戸の文化人(ネットより画像引用)

淀屋
全国の米相場の基準となる米市を設立し、大坂が「天下の台所」と呼ばれる商都へ発展する事に寄与しました
財力が武家社会にも影響する事となった事になり、幕府より闕所(財産没収)処分にされました
淀屋が開拓した中之島には、現代も中之島に掛かる淀屋橋や常安橋にその名を残しています

淀屋の事業は多角的経営
初代岡本三郎右衛門常安は、伏見城の造営や淀川の堤防改修において工事の采配を振りました
その後「淀屋」と称し材木商を営み、中之島の開拓を行い、江戸時代から現代まで続く経済の拠点を作りました
二代目淀屋言當は、雑喉(魚等)市場、米価の安定のため米市を設立し淀屋豪商の基礎を作りました

米市の役割
米は経済の中心的な存在であり、米価の安定は経済の安定としても重要でした
淀屋は、米の質・量・価格の混乱を収めるため、全国の米相場の基準となる米市の設立しました
全国の米取引の4割(200万石)が大坂で取引きされ、この淀屋の米市は、世界の先物取引の起源となりました
淀屋の米市は、二代目の言當、三代目の箇斎、四代目の重當の時代に莫大な富を淀屋にもたらしました

山崎闇斎
闇斎の提唱した朱子学は、君臣・師弟の関係を厳しくする教えでした
朱子学の一派にとどまらず、神道においても、吉川神道をさらに発展させました
水戸学・国学などとともに、幕末の尊王攘夷思想(特に尊王思想)に大きな影響を与えました
神道研究に取り組み、従来の神道と儒教を統合して(神儒融合)、垂加神道を開きました
人間の心は、天神と同源であり同一であるとの思想から、自らの心神を自宅の祠に祀っりました

賀茂真淵
荷田春満、本居宣長、平田篤胤とともに「国学の四大人」の一人です
『万葉集』などの古典研究を通じて、古代日本人の精神を研究し、和歌における古風の尊重、万葉主義を主張しました
人為的な君臣の関係を重視する朱子学の道徳を否定し、人間本来のあるべき姿とし古道説を確立しました
著書に『歌意考』『万葉考』『国意考』『祝詞考』『にひまなび』『文意考』等多々有ります
本居宣長が、伊勢神宮の旅の途中真淵を訪れ、生涯一度限りの教えを受けました
歌人の門下[に高名な弟子として、優れた女性3人を県門の三才女、優れた男性4人を県門の四天王と称しました

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