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平成の虚無僧一路の日記

『郷土研究』 より 「小栗重吉」 

2014年11月27日 外部ブログ記事
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『郷土研究』 愛知県郷土資料刊行会編 より  
p.58  高力猿猴庵 「文政日記」
「文政3年 10月 オロシヤへ流された半田の船乗り (小栗重吉)
長者町 三味線屋 喜蔵方で 持ち帰った品々を見せる。
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小栗 重吉(1785-1853年))は、1813年(文化10年)、尾張藩の



小嶋屋庄右衛門の船「督乗丸(約120トン)」の船頭として、乗組員
13名と共に師崎から江戸へ出航。帰路、遠州灘で暴風雨に遭い
舵を失って漂流。
 
督乗丸は、海流に乗って太平洋を渡り、1815年(文化12年)に、
アメリカ・カリフォルニア州のサンタバーバラ付近の洋上でイギリスの商船
ホーストン号に救助されるまで、484日間にわたって漂流した。これは
世界最長の記録。生存者は、重吉以下 音吉、半兵衛の3名であった。

 
その後、ロシア船に乗って、アラスカ、択捉(えとろふ)経由で、日本に帰還。
尾張藩で苗字帯刀を許され「小栗」姓を名乗る。
 
重吉は、亡くなった仲間に対し「なんといっても供養塔を建てる。
建てるまで俺は死ねない」と固く心に誓い、名古屋の熱田笠寺観音の
境内に供養塔を建てます。(現在は熱田区の成福寺に移設)。
 
アメリカ、ロシアから持ち帰った品を見せ、見料を取ったのは、供養塔の
資金集めだったようです。


 

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