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平成の虚無僧一路の日記

『郷土研究』 より 三重県の「関」 

2014年11月27日 外部ブログ記事
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『郷土研究』 愛知県郷土資料刊行会編 より  
「東海道の文学探訪」 桑名-〜 大津編 
「逢坂の関、不破の関」とともに “天下の三関“ と言われた三重県の「関」。
(岐阜県にも刀剣で有名な「関市」があります。 千葉県にも「関宿」)
こちらは「三重県 鈴鹿の関 」。
「関」で有名なのは「関の地蔵」。
【一休禅師の関 地蔵開眼ばなし】
「関の村人が、地蔵の開眼供養をしようとしていると、たまたまそこに
一休が通りかかった。そこで、村人が一休に開眼供養を頼む。
すると一休は地蔵にむかって「釈迦は過ぎ、弥勒は未だ出でぬ間の、
かかる 浮世に 眼を開け 地蔵!」と 三遍唱え、前をまくって小便を
かけて立ち去った。
里人は大いに怒って、地蔵を洗い、別の僧に頼んで開眼供養をやりなおした。
ところが、その夜、世話人に高熱が出、夢枕に 地蔵が立ち、「せっかく名僧の
供養で開眼したのに」と、供養のやりなおしを命じた。
そこで、あわてて一休の後を追い、桑名の宿にいた一休に再度供養を
求めると、一休は古びた 褌 をはずして 地蔵の首に かけるよう 手渡した。
人々は半信半疑で 言われた通りにすると、世話人の高熱はたちまち
下がったという。
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関の地蔵といえば、この一休のションベンを思い出すが、これは
事実ではない。江戸の人たちは、一休に名を借りて、こうした仏教への
信心を ちゃかしているのである。
 

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