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平成の虚無僧一路の日記

『名古屋叢書』第21巻 随筆編(4) より 

2014年11月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



古書を処分するため、興味のある記事を、ここに書き残して
おきます。
 
『名古屋叢書』第21巻 随筆編(4) p.376
「感興漫筆」 30
会津にて 吉村清兵衛と云う人、松平下野守殿 御遠行の時、
大いにおどろき、会津の川を おぼえず 向こう岸へ走りて渡る。
かくて たちかへる時に、さてこの川を どうやって渡ってきたのか
思案しけれども 記憶なし。還りは 舟に乗りて 越えたりと。
 
(「火事場のくそ度胸」のような話ですかな。尚、このページに次の記事あり)
 
〇文久2年8月20日 高須侯(義建) 卒。64歳、
(注)「高須松平義建」は、実は水戸の義和(保友)の小として1800年、
江戸の水戸藩小石川邸で生まれた。父義和(保友)は水戸徳川家の
部屋住み身分であった。
「義建」は、1804年に高須松平家に末期養子として入り、高須藩を
相続した。会津藩主「容保」の実父である。

長男:源之助 1820年生、夭折
次男:慶勝  尾張藩尾張徳川家養子
三男:武成  浜田藩越智松平家養子
四男:整三郎 1826年生、夭折
五男:茂栄  高須藩主(義比)→尾張藩主(茂徳)→一橋徳川家養子(茂栄)
六男:某 戊辰戦争で切腹
七男:容保  会津藩会津松平家養子
八男:定敬  桑名藩久松松平家養子
九男:鐡丸 1849年生、夭折
十男:義勇  高須藩主

 
 
 
 

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