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江戸の文化人(田中、河村、新井) 

2014年11月25日 外部ブログ記事
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江戸時代の文化人3名

田中勝介  ⇒江戸時代の京都の貿易商人
河村瑞賢  ⇒江戸時代の政商
新井白石  ⇒江戸時代の旗本・政治家・学者


















江戸の文化人(ネットより引用)

田中勝介
日本人で、始めて太平洋を横断・往復して、アメリカ大陸に渡った貿易商
家康側近の後藤庄三郎の仲介で、徳川家康の命を受け、メキシコのアカプルコへ向かい到着しました
帰国の際、田中は洗礼を受け、太平洋渡海中は善良な態度で周囲の尊敬を集めました
通商を試みての渡航でしたが、具体的合意には至らず、成果は得られませんでした

河村瑞賢
幕府の土木工事で資産を増やし、材木屋を営み、明暦の大火で、木曽福島の材木を買い占め莫大な利益を得ました
外海江戸廻りの東廻り航路航路開拓(阿武隈川河口から、伊豆半島の下田へ入り、西南風を待って江戸に廻米の航路)
西廻海運を確立(酒田から瀬戸内海を廻り、紀伊半島を迂回して伊豆半島の下田に至り、西南風を待って江戸に廻米)

新井白石の履歴
豪商の角倉了仁から「知人の商人の娘を娶って跡を継がないか」と誘われ、白石は好意に謝しつつも断りました
白石は、朱子学者・木下順庵に入門し、順庵は白石を、甲府藩への仕官を推挙しました
六代将軍・徳川家宣の侍講として幕政を実質的に主導し、正徳の治と呼ばれる一時代をもたらしました
綱豊は名を家宣と改め、将軍に就任すると、大学頭・林信篤を抑えて、白石にその職責の大半を代行させた
家宣は、甲府家から白石らを側近として雇い、『正徳の治』の政治改革を行いました
七代将軍・徳川家継も守り立てたが、譜代大名と次第に軋轢を生じ、八代将軍に徳川吉宗が就くと失脚しました
学問は朱子学、歴史学、地理学、言語学、文学と多岐に亘る
晩年は不遇の中でも著作活動に勤しみ『采覧異言』の終訂、墓所は中野区の高徳寺にあります

新井白石の業績
徳川家康の「貨幣は尊敬すべき材料により吹きたてるよう」の言葉を忠実に実行しインフレの沈静に努めた
経済成長に伴う自然な通貨需要増に対応した、前政権の政策を無にする「白石デフレ」を引き起こしました
長崎貿易の縮小(大量の金銀が海外に流出するのを防ぐ為)
外交政策(朝鮮通信使接待は幕府の財政を圧迫するとし、朝鮮通信使の待遇を簡略化させました)
シドッチ密航(宣教師の密入国事件)より得た知識で『西洋紀聞』『采覧異言』を記しています

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