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平成の虚無僧一路の日記

虚無僧と南朝の因縁 その2 

2014年09月19日 外部ブログ記事
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虚無僧のの祖師は「普化」だが、その「普化宗」を日本に
伝えたのは、紀州由良興国寺の開山「法燈国師覚心」と
される。
しかし、この話は荒唐無稽。「法燈国師」の伝記や史料には
尺八や普化宗との関わりなど全く出てこない。虚無僧たちが
勝手に「普化宗の日本開祖」に祀り上げたのだ。
では、なぜ「法燈国師」が「開祖」とされたのか。
それを私は探り続けている。
そもそも、法燈国師が鎌倉時代に、由良に開いた寺は
「西方寺」で、真言密教の高野山の末寺だった。
「西方寺」は、西国(中国)への渡航を望んだ「源実朝」の
遺志を継いで建てられ、実朝と北条政子の御霊を祀るために
建てられた寺だった。
その「西方寺」が「興国寺」となるのは、鎌倉幕府が滅び、
後醍醐天皇による建武の中興が成った後。「興国」とは
南朝の元号で1340年から1346年までの間。
その後、興国寺は、後醍醐天皇の子「後村上天皇」の
帰依をうける。
ここで、「一休」「後村上天皇」「興国寺」という一本の線が
つながるのである。
『一休和尚法語』の中に、「興国寺の開山法燈国師」の
作として「なにごとも夢 幻とさとりては うつつなき世の
すまいなりけり」 という歌が載っている。
この『一休和尚法語』によって、虚無僧たちは「由良の開山
法燈国師覚心」の名を知ったのではないか、というのが
私の推理。
 

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