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平成の虚無僧一路の日記

「一休と森女」の真相 

2014年09月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「一休と森女」の真相を探っていて、すごいことに気づきました。
 
一休は自身を弥勒菩薩に例えているというのです。
一休の画像は右足を左膝の上に乗せているので、
「だらしない。一休さんらしい無作法さ」 などと評価されて
いますが、これは「弥勒菩薩の姿」を示しているというのです。
 
つまり「一休」には、「我こそは、末法の末に人々を救うという
弥勒菩薩。未来永劫、人々の心の中に住み、衆生を救うのだ」と
いう強い自負心があった。
そしてまた「森女」を「「観音菩薩の化身」に見立てた。
一休の『狂雲集』に載せられた赤裸々な愛の表現は、
実は「森女=観音菩薩と合体して衆生を救う」という
一休の信念を表現したものだったのだ。
「変化球」の人「一休」ならではのトリック。この
トリックを解いた人は未だいない。
 
そして驚いたのは、「キリスト教の影響があるのでは」と
いうこと。弥勒菩薩は薬指と親指を合わせて思考している。
キリストの像にも「薬指と親指」を合わせているものがある。
つまり、キリストは神の子としてこの世に使わされたメシア。
弥勒菩薩も如来から衆生済度を託されて降臨するメシア。
 
つまり、一休の中に「仏の託宣を受けて、観音菩薩と一体と
なって衆生を救う」という “三位一体” の思想があった。
さらに云えば、
「闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば、生まれる前の父ぞ恋しき」の
意味もこれで解けた。「闇の声なき声」「生まれる前の父」とは
「仏=神(西洋のゴッド)」を意味している。
これも偶然か、一休の詩に中に「旧約」と「新」。まさに
「旧約聖書」と「新約聖書」の語が入っているのである。
ジジャジャジヤーン あなたは信じますか?
 

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