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平成の虚無僧一路の日記

「暮露」は虚無僧の源流か 

2014年07月30日 外部ブログ記事
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『暮露々々(ぼろぼろ)の草子(そうし)』という書がある。
京都栂ノ尾(とがのお)の高山寺の開祖「明恵(みょうえ)
上人」が書いたと云われるが、疑わしい。

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「蓮華坊」と「虚空坊」という二人の兄弟がいた。

「蓮華坊」は、眉目秀麗で心優しい。念仏者になって、
 諸国遍歴し、念仏湯行をする。

一方の「虚空坊」は、色黒で醜く、気性が荒い乱暴者。
「暮露(ぼろ)」になって、念仏者を殺すこと数知らず。
「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで救われるという「念仏宗」は
外道、邪教と嫌悪し、念仏者たちが集まって踊り狂っているのを
みると、割っていって、たちまちに何十人と斬り伏せた。

「虚空坊」は 2mを越す大男で「夜叉鬼」の如しと
恐れられたが、その反面、「慳貪(けんどん)の者には
布施の心を示し、瞋恚(しんい)の者には慈悲の心を含め、
愚痴の者には知恵を授け、驕慢(きょうまん)の者には
恭啓(きょうけい)の心を教え・・・・・」と、仏教の本質を
説いている。

そして有る日「虚空坊」と「蓮華坊」がおち合い、舌鋒
厳しく法論を戦わす。その後、実は「虚空坊」は「大日如来」、
「蓮華坊」は阿弥陀如来の化身だったというオチ。

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つまり「蓮華坊」は「念仏宗(後の浄土宗、浄土真宗)」。
「虚空坊」は「華厳宗」や「禅宗」の立場で法論を交わした
のである。

ここで「虚空坊」は「大日如来」の化身で「暮露」となって
という点が注目される。

「ボロ」という音から、ボロボロの衣を着た乞食が連想され、
事実、近年まで、乞食のことを「ボロンジ」と呼ぶ地域も
あった。

しかし、『七十一番職人歌合』に描かれた「暮露」は
「白い紙衣に黒い袴」をつけ、清楚な姿である。

『徒然草』には「ぼろ、ぼろんじ、梵字、漢字ともいう」
とある。

なぜ「ぼろん字」なのか。そこで思い当るのが「大日如来の
頭頂に輝く金輪=一字金輪の呪=のうまくさんまんだ
ぼたなんぼろん」である。『歌合』に描かれた「暮露」は
長い柄の唐傘を持っている。

つまり、「暮露」は「鉢叩き」やササラを持った「放下」の
ように、傘の長い柄の部分を叩きながら「のうまくさんまんだ
ぼたなんぼろん」と唱えて歩く「聖(ひじり)」のひとつ
だったと私は考える。呪の最後の「ぼたなんぼろん」から
「ぼろん字」と呼ばれたのではないか。

鎌倉末から室町時代にかけて存在した「暮露」は尺八は
吹かない。当時、尺八は、念仏宗の一派「時衆」の徒が
吹いていた。それが、安土桃山の頃から「暮露」が吹き、
「暮露薦僧」となり、「時宗」から離れて「禅宗」に
傾倒していく。「暮露薦」と「禅宗」とを結びつけたのが、
かの「一休」ではなかったか。

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