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平成の虚無僧一路の日記

「念仏」は「教信」に始まる? 

2014年07月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「つげ義春」の漫画『無用の人』の巻末に インタビュー記事が
載っていた。タイトルは「乞食論」。その中で「無用者の先達」
として「教信」という坊さんの名が紹介されていた。

「教信」は「最澄、空海」の死後 3、40年。法然(1133 - 1212年)、
親鸞(1173−1262)より 300年も前の人。

生年は不確かだが、天応元年(781)生まれたと云う。藤原鎌足の
5世の孫とか、光仁天皇の後裔とかも云うが、多分に疑いあり。

興福寺の僧だったが、寺を出て諸国を放浪し、播磨国賀古郡の賀古駅
(かこのうまや)の北、(現 加古川市野口町野口)に草庵を結び、妻を
娶り子供も一人生まれる。旅人の荷物を運ぶ仕事で生計を立てていたが、
いつも西方浄土を念じて「南無阿弥陀仏」と唱えているので、
人々は彼を「阿弥陀丸」と呼んだ。僧にもあらず俗でもないので
「非僧非俗」の人。

貞観8年(866)亡くなるが、「自分は生前、生き物を食べているので、
体は鳥獣に供養したい」との遺言で、遺体は裏の林に捨てられ、
鳥獣の食い荒らすところとなる。

「教信」は「南無阿弥陀仏」の六字名号を常に唱える「口誦念仏、
称名念仏」の始祖となった。その庵の後には、現在「教信寺」がある。


「念仏宗」は「法然」「親鸞」に始まると思っていたが、それより
300年も前に、「教信」が居たとは知らなんだ。そして「つげ義春」が
その「教信」を「乞食・無用者の先達」として敬愛していることに
注目!

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