メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

慶喜

神社に、何故多数の祭神有るの? 

2014年07月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



東海道五十三次7番目の宿場平塚宿散策

夏場の猛暑、『ペテン山』中心に7KM位を散策しました
春日大社訪問で、祭神の多いのに驚き、祭神を散策しました












祭神(引用)














平塚宿



祭神の名前が無い時代(10世紀迄)
神道では、海・山・川などを畏敬の対象とし神体として、自然崇拝から始まりました
10世紀迄、伊勢神宮・住吉大社以外の神社では、そこに祀られる祭神の名は有りませんでした
神社の祭神は、鎮座地名や神社名に「神」をつけただけの名前で呼ばれていました

祭神が名前を持った時代(10世紀以後)
祭神に、氏神・地主神、又火の神・水の神・木の神などの具体的な神徳・機能が附加されました
鎌倉時代には、日本神話に登場する神、又は「命・尊」「彦・比古」「姫・媛・比売」などの人格的な祭神も生まれました
稲荷・八幡などの有力な神を分霊(勧請)して、分霊を主神とすることも行われました
神社の由緒、祭神には確実性に疑問が多々有ります

主神・配神
神社では、複数の神を祀っており、主として祀られる神を主神、それ以外の神が配神です
祭神を主神・配神に分けるのは、明治時代に官国幣社で行われました
配神は、主神にゆかりのある神が多いです
明治時代の神社合祀により、多くの配神を祀ることになった神社もあります

春日神社
源頼朝が馬人川の橋供養の祈願をし、完成の後創建した神社です
祭神は、天児屋根命・武甕槌神・経津主命など四往で、平塚本宿の鎮守です
10神の神が祭られています

平塚八幡宮
仁徳天皇の世に応神天皇を祀って創建されたといわれています
源頼朝が、北条政子の安産祈願として神馬を奉納しました
二の鳥居は、青銅製の珍しい鳥居で、僧本誉還真が私財を投じ創立しました

海軍火薬廠関係
英国3社によって設立された日本爆発物製造株式会社平塚製造所
日本海軍により買収され、「海軍火薬廠」発足しました
海軍省艦政本部の為、第二次大戦で全焼しました

お菊の墓
お菊は、行儀作法見習のため、江戸の旗本青山主膳方へ奉公中、主人により斬り殺されました
家宝の皿を、菊女が紛失し罪でしたが、後日皿は発見されました 
怪談「番町皿屋敷」の素材で有名です

江戸見附跡
見附とは、本来城下に入る門を示す「城門」をいい、城下に入る人々を監視する見張り場の役目を持っています
見附から正式に宿内であることを示す施設です
一般に江戸側出入り口にあるものを江戸見附、京側にあるものを上方見附と呼びます

要法寺
日蓮上人が平塚にご来臨し、この地で宿泊され、法華経のご説法しました
法華経の説法を聞き多くのものが信者になり、館を献上して当寺を開山しました

平塚の塚
桓武天皇の孫、高見王の娘政子が東国へ向かう旅をしていた折、この地で逝去しもあした
柩はここに埋葬され墓として塚が築かれました
塚の上が平らなったので、里人はそれを「ひらつか」と呼び、これが平塚という地名の起こりです

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ