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平成の虚無僧一路の日記

鳴かぬ烏の声きけば、生まれる前の 

2014年06月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



無教会主義の「キリストの幕屋」が発行している『生命の光』と
いう冊子に、付いていたチラシに目を奪われた。

「闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば 生れぬ前の 父ぞ恋しき」という
古歌があります。この歌を大切にされてきた横田さん。東京大空襲で
両親を失い、孤児となって波乱の人生。数奇な運命の中で
「生まれる前の父=キリスト」に出会った。

と、いやはや びっくり仰天。

私は、この「闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば 生れぬ前の 
父ぞ恋しき」の歌は「一休さん」の作とばかり思いこんでおり、
その意味が解けずにいました。

「生まれぬ前の父」が「キリスト」とは、目の覚めるような
回答ではありませんか。

そこで、ネットで検索してみると、キリスト教関係者が、結構
この歌を利用していることを知りました。いやはや、一休さん、
キリスト教にまで影響を与えていたのですね。

いろいろ検索してみると、「この歌は“詠み人知らず”」と
いうのが数点。これは「江戸時代中期の白隠禅師の歌」と
いうのもあり。

「百人一首で覚えた記憶がある」というのも。「これは間違い
でしょう」と思ったら、関連記事が ありました。

池田弥三郎の『百人一首故事物語』 河出書房新社, 1984.12.4
「百人一首」の大会で、わざと 無い 歌を詠む。その「から札」の
例として、

「鯨吼ゆる 玄界灘をすぎゆけば ゴビの砂漠に 月宿るらむ」そして
「闇の夜に 鳴かぬ烏の声聞けば 生れぬ先の 父ぞ恋しき」

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「鈴木大拙」は、次のように解説していました。

一休禅師の「闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば、生まれぬ先の父ぞ恋しき」
という道歌があります。「生まれぬ先の父」こそ「見えないいのち」、
「大いなるもの」「如来」であると言えます。
また「鳴かぬ烏の声を聞く」とは、「釈尊の教えたる経文を読み、
行を行ずることで聞こえてくる『声なき声』であります。

と、なるほど。「生まれぬ前(先)の父」は、如来であり、
キリスト教徒にとっては「キリスト」というわけですな。

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