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平成の虚無僧一路の日記

5/19 桶狭間の日「琵琶と尺八」 

2014年05月18日 外部ブログ記事
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5/19(月)は「桶狭間の合戦」があった日。
毎年恒例、鳴海の「中島砦(とりで)」で慰霊祭が行われ、
夜6時からは、すぐ隣りの「近清商店」さんの敷地内で、
「琵琶と尺八の演奏」。

薩摩琵琶:糸井藍水 尺八:牧原一路 鳴り物:林鈴花

他一路会(長縄、加藤、渡辺、立松)による尺八演奏


織田信長は、清洲から熱田を経て、鳴海まで来、家臣の
制止も聞かず、今川方の敵陣深く、中島砦まで馬首を進め、
ここで「桶狭間への号令」を発した。

最近の説では、旧暦5月19日は、新暦でいえば6月半ば。
炎暑で、今川義元方の大軍は、隊列ぐ城を
落として「大高城」に向かう途゛き中だった。

そこへ、織田信長の意を汲んだ蜂須賀小六らが 神官や僧侶、
村人に変装して、勝利の祝い酒や肴を献じ、休息を勧めた。

今川方の将兵は甲冑を脱ぎ、槍や刀を置いて、祝宴となった。
また、1万を越える軍列は何?にも伸びきっており、
先頭の雑兵共は 付近の村々に略奪しに出払っていた。

そんな折、一天にわかに かき曇り、篠つく雷雨となった。
そこへ、斥候が今川義元の居場所を知らせに来、信長は
好機到来、「今こそ、目指すは義元の首ひとつ」と
桶狭間への進撃の大号令を発したのでした。


信長勝利の最大の要因は「情報戦」にあった。今川義元の
動きを 逐一探り、標的とする陣所を確認した上での、一点
集中攻撃だった。

こうして、桶狭間の勝敗は、奇襲でも天運でもなく、
近代戦術の信長が、中世の在地豪族の集合体である
義元に勝つべくした勝った戦いだった。

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