メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

じいやんの日記

「私の昭和の日」 

2014年04月30日 ナビトモブログ記事
テーマ:日記

4月29日は、もともと「天皇誕生日」という祝日だったのが、昭和64年(1989)1月7日に昭和天皇が崩御されたことを受けて年号が平成に改まり、「天皇誕生日」も昭和天皇が自然を愛したことにちなんで平成元年(1989)から「みどりの日」となりました。
しかし、平成17年に国会で「国民の祝日に関する法律」(祝日法)を改正。
平成19年(2007)より「昭和の日」とすることにしました、「みどりの日」は5月4日に移動して存続してゴールデンウィークに祝日が集中するようにしました。
今年は、昭和の日、憲法記念日、みどりの日、子供の日と日曜日と祝日が重なった時の振り替え休日で練習になってます。
企業によっては1日をメーデーとして休日にしているし、学校も日曜に授業を行って、振替休日をこの時期に取得するようにして、週休二日制と合わせて、最大11連休となっている。
折角、1年に一度廻ってくる、昭和の時代と私の思い出を整理した。
戦後間もない昭和24に生まれ、物心ついた時は、私の住む街には日本を軍事占領すべく派遣された連合国各国の軍隊から、アメリカ陸海軍が大勢駐屯していた。
別府市の中心に広大な基地が建設され、治外法権に守られ裕福な生活と兵士を慰労する目的の環境をまじかに感じながら育ちました。
年に一度、市民にも一部が解放され、港では空母や駆逐艦、キャンプでは戦車等の展示や模擬店(アイスクリーム、チョコレート、ハンバーガーの様なもの)が販売されたり、プレゼントされていた。
私達は銃をもった兵士が警備するチッカマウガを鉄条網越しに見ながら、基地内で繰り広げられる、色んな情景を見てビックリしてました。
映画で見るような、拳銃の試射や訓練の様子を眺めながら、時々英語(ギブミー・チョコレート等)で話しかけては怒られたり、時にはキッス・チョコを貰ったりしました。
10歳までの昭和史です。
懐かしいけど、戦後の時代を象徴する様な10年です。
同じ年齢でも、戦争の影響が強烈に残ってます。
同級生や年下に、多くのハーフの子供がおり、一種に遊んだ記憶が蘇ります。
「参考」
キャンプ・チッカマウガ:チッカマウガはチカマウガ戦争で知られるインディアンの呼称。)となり、1957年(昭和32年)に日本に返還されるまで米軍が中心の町で、遊郭や飲食店が連なる観光?の町でした。
その後は引き続き陸上自衛隊別府駐屯地として使用された。



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

別府

さん

別府は子供の頃から家族旅行で出掛けていてなじみ深い場所ですが、私もアメリカの駐屯地があった事をじいやんさまのブログで初めて知りました。大きなホテル群や、駅前のクラシックな街並みで、アメリカらしさを目にすることがなかったからです。

先日ニュースで別府山火事のことを言っていて、自衛隊の駐屯地は山麓のようですが、米軍の駐屯地が当時街中でしたら本当に驚きました。あの湯気がシューシューと湧きでる温泉の匂いもする街に米軍とその家族が住んでいて、もしかして温泉も使っていたのでしょうか、知らなかったとはいえ、驚きです。今度はその気で通りかかりたいです。ありがとうございました。

2014/04/30 14:14:59

別府でしたか?

さん

別府にも駐屯地があったのですね。
勉強になりました。

2014/04/30 08:42:59

PR







上部へ