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若い時の場所を訪ねて(近江八幡) 

2014年04月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



近江八幡市、五箇荘散策

残念ですが、年齢若返へらないので、若い時代過ごした場所訪ねてみました
近江八幡⇒五箇所の移動、近江鉄道利用しましたが、便の悪さ・高料金に驚きました
待ち時間2時間で、料金570円です。五箇所へは、能登川からバスの便が便利です




近江八幡旧市内

豊臣秀次像



瑞龍寺

八幡山からの琵琶湖









五箇所豪商の住まい

旧近江八幡市
近江商人と水郷・安土城で有名なエリアです
豊臣秀次が、築いた城下町で、近世は商業都市として発展しています

豊臣秀次関白就任まで
豊臣秀吉の姉の長男として尾張国に生まれました
四国平定で軍功を挙げ、近親でも有り、近江八幡市43万石を与えられました
秀吉の養子となり、関白に就任し豊臣氏のNO2になりました

豊臣秀次切腹まで
秀吉に実子・秀頼が生まれると、秀吉から疎まれ、高野山に追放されました
説多々有りますが、秀吉に切腹を命じられ享年28歳で命を絶ちました
豊臣家には成人した親族少なく、秀次とその子を殺したので、豊臣家の親族は皆無になりました

八幡山城址秀次の菩提寺
秀吉の姉・秀次母は、子や孫の菩提を弔う為、日蓮宗寺院を「瑞龍寺」嵯峨に創立しました
後陽成天皇が寺領を与えたので「瑞龍寺」は日蓮宗寺院では唯一の門跡寺院となりました
11代日浄尼のとき、豊臣秀次ゆかりの八幡山城址に「瑞龍寺」移されました

五個荘金堂町の近江商人
近江商人の発祥の地で、水田風景のなかに商人屋敷と社寺が建設されています
稲作中心の農村でしたが、江戸中期以降、副業として商人として行商にでました
江戸後期頃には、呉服や綿・絹製品を中心に、商圏を日本全国に拡大しました
行商から始まった金堂村の商人は、京都・大坂・江戸で出店する豪商も現れました

明治維新後の近江商人
近江商人の教訓に、役人に武士に『賄賂贈らない』教え有ります
教訓を守り、役人に賄賂贈らなかった等?から、三菱・三井・安田財閥等に後れをとりました
ロッキード事件で『丸紅』(近江商人創立商社)が摘発受けたのも皮肉な結果ですね

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