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平成の虚無僧一路の日記

一休の詩偈 

2014年03月31日 外部ブログ記事
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◆「賛」
禅僧では、弟子に自分の肖像画(頂相)を描かせ、そこに
画讃をいれて、弟子に与える習慣がある。

室町時代には、賛詩を必須とする詩画軸、上部に賛のある
寒山拾得などの禅画が多数制作された。

江戸時代には浮世絵に 狂歌や俳句の賛を書くことも流行った。


◆「偈(げ)」
「偈」とは、仏の教えや仏・菩薩の徳をたたえるのに
韻文の形式で述べたもの。「偈頌(げじゅ)」ともいう。

禅僧が悟境を韻文の体裁で述べたもの。中国の偈は
押韻しているのが普通であるが、日本人の「詩偈」、
「法語」には、韻を踏まない破格のものも多い。


一休の『狂雲集』は「漢詩集」と紹介されているが、
正確にいうと「頌、偈、号、賛」と「詩」を集めた
ものである。

その区別は 内容で決められる。

「偈」と「頌」は 仏教的なテーマを扱っていて、
「賛」は 人物を 詠う作品。
「号」は 弟子に法号を与える時に作る作品。

根本的な対立は「偈・頌」と「詩」にある。

そもそも、禅僧にとって、仏教と関係のない
「ただの詩」を作るのは、普通な行為とは
決して言えない。一休は、詩に耽(ふけ)り、
尺八を吹いた。それは“禅僧”としては
あるまじき行為、破戒だったのだ。

しかし、それはやがて、詩人や文人達の間でも
禅への関心を呼ぶようになり、詩や文学にも
禅の影響を感じるようになる。

狂言の『楽阿弥』では「じょ=頌」と言っている。
「褒(ほ)める、ほめ讃える」の意で「賛」と
同義か。

「かの宇治のろうあんじゅ(朗庵主か?)の尺八のじょ(頌)
にも、『両とふ(頭)をせつだんしてより、尺八寸中
古今に通ず、吹き起こす無常心の一曲 三千里の外
知音絶す」と。

これは「一休の尺八の友で、宇治に住んでいたという
朗庵(ろうあん)」の絵の上に書かれているので「賛」
なのだが、『体源抄』には「一休の作」として出
てくる「偈」である。

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