メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

「松岡正剛」と「中野正剛」 

2014年03月31日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



松岡正剛の「千夜千冊」というブログがあります。
あらゆるジャンルの本を取り上げ、その書評を
書いてます。

第一夜は中谷宇吉郎『雪』。2004年(平成16年)7月に
『良寛全集』で“1000夜”を達成したとのこと。

その515話(200/7/8)。

日本中にいる「正剛君」の大半はおそらく「中野正剛」から
採ったのではないかとおもう。

ぼくの場合は、父が「他人に殺されるくらいの気概の持ち主になれ」と
いう乱暴な理由で「中野正剛」の名を選んだ。「中野正剛」は
暗殺されたのではなく自害したのだが、そのへんのことはどうでも
よかったのだろう。

ぼくはこの「正剛」という名前が好きにはなれなかった。
どうも堅すぎる。それに「松岡正剛」の中に、「岡」の字が
二つも入っている。

父が正剛にこだわったのは、ぼくが 昭和19年の1月という
戦争の渦中で生まれたことが決定的な背景になっていた。
前年、中野正剛は東条英機との対立が激化していて、ぼくが
生まれる3カ月前には憲兵隊によって拷問をうけたうえ、
自宅に帰ってきて自決した。2日後の青山葬儀場には 2万の
会葬者が駆けつけた。そのなかに父も交じっていたらしい。

とくに愛国主義者でもない一介の旦那衆であった父は、
どうやら戦争反対者だったようだ。そこへ戦況悪化の
昭和19年1月にぼくが生まれることになる。父は何かを
託して正剛とつけたのではなかったか。

へぇぇぇ。でござる。

数年前、お会いした、ある詩吟の会の会長さん。
「中野正剛の秘書をしていた」とのこと。こちらもへえぇぇ。
先日亡くなられた。もっと詳しく話を聞いておけばよかった。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ