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平成の虚無僧一路の日記

人間は楽器 

2014年03月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



毎日新聞 作家の「いしい しんじ」が、日曜版に連載中の
「毎日が一日だ」、 3/23 は「楽器であるひとりの人間」
というので、読んでみました。
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音、声は耳で聞くものと思いがちだが、そうではない。
全身の骨が共鳴し、肉が響き、血流が重なり合った音を
聴覚器官でとらえている。

声を出すとき、喉だけを鳴らして、声が響いているわけ
ではない。声帯は震えている絃の一部にすぎず、楽器で
ある僕たちのボデイは、頭頂からつま先まで、全身なので
ある。

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まさに、私も考えていたことと同じ。

尺八は口先だけで吹いても響かない。“吹いたら鳴らない”。
“マウス・ボックス”さらに“ボディ・ボックス”、
身体全体で響かせる。そうすれば、耳の聞こえない人にも、
響きは伝わる。心で聞いてもらえるのだ。

さらに、筆者は、劇場・ホールについて、こうも言う。
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劇場や お寺、教会は 全体が楽器。役者の声、読経、説法を、
人間を越えたある別のところからの声に変換して、あまねく
届ける。

余計なものは何もない抽象的な(無機質な)ホールは、そこで
演じられるものも なんとなく味気ない気がする。
それより、子供の泣き声、お母さんのあやし声、遅れてきた
客の足音が闇に混じり、おかしければ笑い、悲しい時には
ハンカチの衣擦れが響く、拍手だけでなく、舌打ち、ヤジ、
静かな微笑み、そういうものをひとしなみに含み、流れていく
芝居、音楽が好きだ。

劇場は楽器だし、人間は楽器。つまるところ、一人の人間は
一個の楽器なのだ。

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さすが、作家「いしい しんじ」。私は今、老人ホームで
ボランティアだが、お年寄りのささやき、感動のざわめき、
痴呆の方の突拍子もない 嬌声、そんなもろもろの音と
対話しながら 尺八を吹く。耳の遠い方もベッドや車椅子で
寝たきりの人も、私の尺八に反応してくれる。そんな空気が、
すごく楽しい。尺八には、耳では聞こえる音以上に不思議な
力が秘められている。

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