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平成の虚無僧一路の日記

幸田露伴『五重の塔』 

2014年03月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



幸田露伴の明治25年(1892年)の小説『五重の塔』。

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木理美しき槻胴(もくめうるわしき けやきどう)、縁にはわざと赤樫を
用ひたる岩畳作りの長火鉢に対ひて
話し敵もなく唯一人、少しは淋しさうに坐り居る三十前後の女、男のやうに
立派な眉を何日掃ひしか剃つたる痕の青と、見る眼も覚むべき雨後の山の
色をとゞめて翠のひとしほ床しく、鼻筋つんと通り眼尻キリヽと上り、

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いやはや、明治は遠くなりにけり。もう私でも読めない。
現代語訳と解説を走り読みしました。

一言でいえば、「源太が請け負った五重の塔の建立という仕事を
十兵衛が横取りして完成させた」という話。どうも気色悪い。
ところがどっこい、この小説がその名を留めているのは、登場人物の
心の機微。現代にも通じる“理想の上司像”でもあるかららしい。

◆粗筋(あらすじ)

谷中感応寺の住職「朗円上人」が、五重塔の建立を腕のいい
宮大工の棟梁「源太」に発注する。それを聞いた「十兵衛」。
腕はあるが愚鈍な性格から世間から軽んじられている。しかし
「この仕事はぜひオイラにやらせて欲しい」と、朗円上人に
直談判に行く。

上人は十兵衛と源太両人を寺に呼び、「二人で話し合って
決めるよう」にと諭す。

「上人の思いやりに応えよう」と源太は十兵衛に「一緒に
作ろう」と提案する。しかし、十兵衛はその提案を断る。
十兵衛は、なんとしても自分一人で造りたいのであった。

十兵衛の並々ならぬ執着心に、源太は折れ、「十兵衛一人では
できないだろうから、自分の弟子たちをも使ってくれ」と
十兵衛に言う。さらに「自分が長年積み上げてきた技術、
ノウハウ、図面までも提供しよう」ともいうのだが、十兵衛兵は
あくまで「自分の持つ技術だけで五重塔を建ててみせる」と、
源太の申し出を断る。どこまでも意固地な奴。

それでも源太は十兵衛を見捨てず、見放さない。最後の最後まで、
十兵衛の「仕事」を、口出しせずに見守る。

朗円上人、源太、十兵衛、その妻たち、それに職人らの思いが
複雑にからみあいながら、五重の塔の建設が進められる。
もうそこには、私利私欲を越え、千年の歴史に残る仕事を残そう
という心が一つになっていく。

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「十兵衛」は、日頃は 鈍くさく、長屋や馬小屋の修理程度の
仕事しかしていなかった。そんな男が、五重塔という大仕事を
引き受ける。現代なら、一介の工務店の主が、大手ゼネコンを
押しのけて、スカイツリーの建設の仕事を受注するような話
である。まずありえない。熱意と口八丁だけでは 通らない。

十兵衛が、朗円上人の心を動かしたのには、それなりの
説得材料があったはず。彼は、塔の何分の一かの縮小模型を
持参して、上人に見せている。ということは、日頃から
彼は、千年の重みに耐えている奈良、京都の五重の塔を調べ、
研究しつくし、縮尺模型を造っていたことになる。そして
塔の建立の話を耳にした時、なんとしても受注したいと思い、
直談判に行った。そして、源太から図面やノウハウの提供を
申し出られた時も、それを断るほどの自信があったのだ。

まさに、仕事を得るには、日頃の修練、準備、心がけである
ことを思わせてくれる。

さてさて、東日本大震災、大津波、原発事故が起きて、
誰もが「千年の一度、起きるか起きないかの災害に備える
なんてバカげている」と言っていたことが明らかにされた。

建設事業に携わる人々なら、幸田露伴の『五重の塔』くらい
読んでおくべきだった。

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