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平成の虚無僧一路の日記

落日の賦  

2010年09月22日 外部ブログ記事
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慶応4年改め明治元年の 9月21日。会津藩の
抵抗が止まった。もはや戦死者 3,000名。
城内に籠もる兵士は 2,000。それに女子供を
加えれば5,000名。兵糧も尽きた。

正月3日に始まった鳥羽伏見の戦いから9カ月。
白虎隊が自刃した8月23日から1ヶ月の籠城の
末、ついに降服となった。その晩、山本八重子は、
天守閣の壁に一首を書き遺した。

「あすよりは 何処(いずく)の誰か 眺むらむ
        なれし大(お)城に 残る月影」

山本八重子は砲術家の山本覚馬の妹で、女だてらに
銃を握り、砲兵を指揮して戦った。城近くまで攻め
込んできた薩摩藩大山巌を狙撃し、傷を負わせている。

その山本八重子は後に新島襄夫人となる。大山巌は、
会津藩家老 山川大蔵の妹「捨松」を娶る。

9月21日は 新暦では 11月5日。北国会津では、
もう冷たい雨が降っていた。会津藩士とその家族は
夏の衣のまま、雪雲を迎えることとなる。

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