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平成の虚無僧一路の日記

「日ユ同祖論」の始祖「酒井勝軍」 

2014年01月26日 外部ブログ記事
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「竹内巨麿」が神代の昔から先祖代々伝えられたとする
『竹内文書』を世に広めたのが「酒井勝軍(かつとき)」である。

「酒井勝軍」(1874〜1940)は 山形県の生まれ。
明治のはじめ、アメリカに渡り賛美歌を習い、キリスト教の
宣教師となった。

語学堪能なため、1918年(大正7)大本営付の通訳として
シベリア方面で従軍する内に、当時、西欧を席巻していた
「ユダヤ禍論」を知り、帰国後はユダヤ人とフリーメーソンの
研究に没頭し 反ユダヤ論の論客として名を馳せた。

ところがその後、エジプトに行き、ピラミッドの調査や、
パレスチナで古代イスラエルについて調べるうちに、
「親ユダヤ」になり、「日本とユダヤは同祖」という
「日ユ同祖論」を展開するようになる。

ついには、モーゼが神から授かったという「十戒」は、
日本にまで運ばれ、日本国内に隠された。あるいは、
「ピラミッドは日本の何処かにもあるはず」という仮説を
立て、神の啓示と称して、次々とその場所を言い当て、
予言を的中させた。

「酒井勝軍」は その探索旅行中、昭和4年、茨城県磯原の
「天津教本部」を訪れて、「竹内巨麿」から「竹内文書」や
「モーゼの十戒」を書き付けた「石」、「ピラミッド建造の
由来書」などを見せられた。

その石には「アダムとイブ」「モーゼ」などの名前が書かれて
いたり、ムー大陸やアトランティス大陸の消滅を思わせる
記述があったりで、酒井はすっかり感激し、以来、天津教の
有力なイデオローグとなっていった。

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