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平成の虚無僧一路の日記

「放浪について」 瀬戸内寂聴 

2014年01月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



中日新聞1/22 文化欄に 「瀬戸内寂聴」さんの寄稿。

「放浪について。孤独の相に生まれて・・」

『放浪について』という随筆を1969年(昭和44)、
49歳の時、『群像』5月号に書いているそうな。
「70年安保」で世の中騒然としていた頃だ。大学も
バリケード封鎖されていて授業など無かったから、私も
虚無僧で北陸を廻ったりしていた。

その頃「瀬戸内寂聴」さんは、執筆に追われ、眠る閑も
無いほど多忙を極めていたという。そして「放浪」への
憧れはとみに強くなっていき この翌年 出家している。

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「私には家はあっても家族はなく、私の袖を引き止める
肉親もいない。心に繋(つな)がる断ち難い煩悩の絆は
あっても、その絆の強さゆえに、放浪への憧れも、日々
強力になりまさる。
恩愛の情の薄いものが、肉親や愛欲を捨てやすいのではない。
人恋しさの物狂おしさのゆえに、放浪の旅に出たいのでは
ないか。

行方も定めぬ無目的の終わりのない旅。風に背を押され
ひたすらに歩く。その旅に終わりがあるとすれば、
地図にもない野原の芒(すすき)の中で、ひっそりと
野ざらしになっていることだろう。

この随筆の終わりに私(寂聴)は書いている。
『芸術家は本来、放浪の性を持つべきではないか。芸術家が
一つの家庭にしばりつけられ、一人の妻やその女の生んだ
子どもたちの恩愛にしがみつかれていていいものだろうか。
安穏で平和な家庭と芸術の女神は性が合わないはずだ』

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『芸術家は放浪の性を持つべき』。なんと私の自己弁護に
後押ししてくれることよ。私も子供の頃から放浪癖があった。
家族にも知られず、ひっそりと野に朽ち果てるのを美学と
している。しかし、まだ死ねない。「瀬戸内寂聴」の如き
残す名も実績もない。まだまだやるべきことがある。
「日暮れて道遠し」。

「瀬戸内寂聴」さん、今年93歳。先日もTV「きんすま」に
出るなど、ますます精力的に活動されている。

「生きて帰れぬ放浪の旅には一向に出発しそうにもない」と。

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