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「こやんぴ」のぶらりお散歩ブログ
講座受講の昼休みに、太田南畝とまた繋がっちゃった
2014年01月19日
テーマ:徒然なるままに
日曜日は、新宿で講義のある日。
短い昼休みには、体を訛らせないように、軽く歩くことにしています。
今日は、高層ビルの立ち並ぶ方に足を延ばしてみました。折からの北風がビル風となり、ものすごい強風。体感温度は急降下。
これはたまらない、コースを間違えた、と後悔を始めた頃に出くわしたのが、常円寺。
仰ぎ見ると、後ろにひっくりかえってしまうくらい高いビルが立ち並ぶ界隈に、古風なお寺がひっそりと佇んでおりました。
最初は、「新宿鬼子母神」との表示に、「ほほぉ」と興味がわいて立ち止まったのですが、水をかけてお参りする「浄行ぼさつさま」などもあって、なかなか由緒ありげ。
片隅に石碑が。
何か文字が彫ってありますが、よく見えません。
新宿区教育委員会による解説版により、「便々館湖鯉鮒狂歌碑」であることが分かりました。
解説によると、便々館湖鯉鮒(べんべんかん・こりふ)は、十八世紀から十九世紀にかけて生きた狂歌師で、この近くに住んでいたようです。
石碑には、よく見えませんが、彼の代表作が刻まれているとのことで、刻まれた書は狂歌界の大立者、太田南畝の筆になるそうです。
私は、昨秋にも、同じ新宿区内で南畝の揮毫に出くわしているので、南畝さんとの縁の深さを感じます。
単なる偶然じゃあないのかも。
この際、南畝研究に走ろうかな。
いやいや、なんぼなんでも、今の勉強の方が南畝より何歩も先だろうなぁ、やっぱ。
狂歌は、次のとおり。
三度たく米さへこはしやはらかし
おもふままにはならぬ世の中
意味は、
米は、毎日、朝、昼、晩と三度も炊くのに、毎度、軟らかすぎたり固すぎたり。
常に炊いている「まんま」ですら意のままにならないように、本当に、思う「まま」にはならない世の中であることよ。
ネット検索をしていたら、この狂歌を魯山人作と伝えるHPが複数あって、これにも驚き。
太田南畝が「蜀山人」とも称したことと、魯山人が料理の大家でもあったことが関係した誤解なのでしょうか。それとも、魯山人がどこかでこの狂歌について語ったことがあったのでしょうか。
碑の建立は、湖鯉鮒さんが亡くなった翌年とのことなので、魯山人の方が先にこの狂歌を詠んだ訳はありませんよね。
狂歌がもてはやされた江戸時代は、系統だって学問を伝授する場所も機会も多くはなかったはず。
それなのに、多くの人が、狂歌のおかしみを理解したということは、驚嘆に値することだと思います。
なぜなら、万葉集以降の有名な短歌など、土台となる教養を持っていない限り、狂歌に潜む機知を理解することなどできないからです。
おそるべし、江戸時代の教育レベル。
今回は、石碑の写真も、ただの石みたいにしか写っていませんし、このお寺には東京駅の設計者である辰野金吾の墓所など、他の見どころもあるらしいので、再訪する必要がありそうです。
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ぶらり散歩も
秋桜さん、
チワワさん、
慶喜さん、
まこさん、
コメント、うれしく存じます。
しっかり調べてから歩くのが正しい姿だとは
分かっていますが、突然、おやっと思う
場所に行きあたるのもいいものですね。
ただ、後で調べたら、数歩先に、見逃す
べからざるものがあったりして・・・
そうなると、再訪するしかありません。
2014/01/23 18:40:43
学び
以外な出会い、石碑も調べていけば面白いものなんですね。
歌の「まんま」と「まま」をかけているのが興味深いです。
最初は親しみやすい三度のご飯を炊く歌かと思ったのに、世の中の「思うまま」だとは意味が深い。
良き勉学との出会いですね。
2014/01/21 22:29:25
同感です
江戸時代の文化驚嘆ですね
狂歌のみならず、多くの文化に通じた太田南畝さん
その交友関係の幅広さ
何故、狂歌現在ポユラーに成らないのですかね?
向島には、大田南畝さんが、桜見物で儒学者らと
詠んだ碑が多数有りますね
江戸文化で感心するのは、和算です
和算で積分・微分も行なっていたとの事
江戸時代、武器はそれ程発達しませんでしたが
鎖国で何も導入出来なかったのに、文化の発達
には驚きますね
2014/01/21 05:26:16
探究心旺盛ですね。
日々の勉学にいそしみ、休憩時間にも
からだと頭の充電をいとわず・・・
寒風のなかにも学びがたくさんありますね。
素晴らしい向学心だと喝采を送ります^^
2014/01/20 16:25:00
「湖鯉鮒」と言う名前
本文に追加します。
愛知県に知立市がありますね。
ここは元「池鯉鮒」宿。
「湖鯉鮒」さんとは、一字違いです。
「湖鯉鮒」さんは、この「池鯉鮒」に因んで
この名を選んだのではないでしょうか。
その昔、「池鯉鮒大明神」と称したこともあると
いう「知立神社」。その知が立つ「池鯉鮒」の
池より広い湖のように知が立つ男、そんな
しゃれかもしれませんね。
2014/01/20 10:38:37