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平成の虚無僧一路の日記

その時その場に生きる 

2013年12月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



12月にはいってもなんの連絡も無く、本当に
あるのか 半信半疑だったロシア公演。まったく
行ってみなければ判らない状況。

日本でも、最近受ける仕事は「いつ、何時に
どこどこへ」という電話だけで、行ってみなければ
わからない仕事が多くなってきた。“お布施
(報酬)”も いただけるのか、いくらいただけるのかも、
終わってみなければ判らない。無償の仕事の方が
多くなってきた。

行ってみると「独居老人の食事会」でボランティア
だったり、「○○の大会」だったり。車椅子
状態の人が150人もいて、マイクなしでは
声も通らず、いや 通っても反応の無い人ばかり
だったり。

その時、その場で、何をどう吹くかの判断を
迫られる。

そんな中、エディさんから 手紙で仕事の依頼。
この方はアメリカ人。いつも きちんと「契約書」を
取り交わす。ギャラの支払い条件、天候や事故などで
演奏ができなかった時の対処まで、契約条項に
盛り込まれている。契約は3回目。
初めての時は、行って驚いた。キリスト教系の
新興団体。ここで虚無僧の話をして良いのか、
戸惑った。意外にも大好評で、三度目の依頼が
きたのだ。


そして今日はもう一件。箏のS先生から電話があり、
「○○寺から奉納演奏を頼まれた」とのこと。
愛知県では、名の知れた有名なお寺であり、そこで
奉納演奏をさせていただけるなら、こんなうれしい
ことはない。

喜んで引き受け、打ち合わせに S先生宅を訪問。
「昼の食事を用意しておきますから」との言葉に
11時に伺ったが・・・・。 お箏の用意も食事の準備も
されていない。「下合わせしましょう」と促して、
箏を出して、私が柱(じ)を立てて、調絃まで
してさしあげて、『六段』を合わせたが、とても
まともには演奏できない。何度が合わせた後で
「ところで今日は、なんのために合奏ですか」と。
私の方が???

御歳84歳で一人暮らし。痴呆が進行していると
気がついた。はたして奉納演奏はあるのだろうか、
あやしくなってきた。当日、お箏を担いで行っても
門前払いかもしれない。それはそれで“良し”と
しよう。これからは こうした方々のお相手も
ボランティア(仕事)になってきそう。

虚無僧は、明にも暗にも対処。その場その時に
誠意をもって生きる修行と心得る。

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