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平成の虚無僧一路の日記

「半僧半俗」と「非僧非俗」 

2013年11月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



中日新聞掲載 五木寛之『親鸞』第137話

「非僧非俗、とは いいながら、私は人々の志によって
生きておる。本来なら、みずから乞食(こつじき)して
日々の糧(かて)を得るべきところを、日がな一日、
机の前にすわってすごしているのだ。それでいいのか、
と自問することも多い。世間の人びとに養われて生きる。
その喜捨の絶えるときは、飢え死にする。そう覚悟して
きたのだ」

じゃ〜ん。虚無僧の私と同じだ。親鸞は正規の学僧では
なかった。「非僧非俗」。「僧に非ず、俗に非ず」。
「僧でもない、俗でもない」。だから浄土真宗の僧は
剃髪していない。俗人と同じ有髪である。

虚無僧も同じ「僧に非ず」である。やっぱり「偽僧」か。
いやいや「擬僧」。僧に擬しているが、僧に非ず。

「半僧半俗」ではない。「半僧半俗」なら、半分は「僧」
であることを認めることになる。「僧には非ず」なのだ。
そして「俗に非ず」。僧でも俗でもない、双方を超越した
存在なのだ。

室町時代、一休の尺八の友「一路」は、「我食尽きたり」と
餓死して果てた。私も憧れの末路でござるる

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